川越なんじゃこれ ドアを開ければヒューストン
川越市元町は蔵造りの街並みで有名です。
そこに佇むある古いビル。
現在は、このビルの西側に接するように商業施設が建っています。
したがって、このビルをこの方角から見るためには、その新しい施設の東側から見るしかなくなってしまいました。
残念ながら、その商業施設とこのビルの間にはあまり空間がありませんので、このような写真を撮ることはもうできません。
3階建ての建物です。
2階に上がる外階段はありますが、とても華奢なような・・・。
後付けなのでしょうか。祖谷の蔓橋を渡るくらいの勇気が必要なような気がします。
問題は3階です。
3階の白いドアを開けて外に出ようとしたら、真っ逆さまに、
ひゅーすとん。
2階への外階段の設けられ方、ドアの位置から考えて、3階のドアから2階に降りる外階段は設置が不可能のように思われます。
じゃあ、この3階のドアは、何のため???
高校生の頃の記憶を辿ってみると、そうそう、このビルの西側にも建物がありましたっけ。よく通った本屋さん。
もしかすると、その建物との間に2階、3階ともに渡り廊下があって、両建物の間を行き来できていたのかもしれません。
ドアを出たら真っ逆さまのビルの中がどうなっているのかは不明ですが、安全のために、3階のドアは開かないようになっていると思います。
開くようになっていたら怖い。
今を生きる(「句会報」新年号に載せた駄文)
1週間前に、今年になって最初の句会がありました。
私の参加する句会では、毎回、句会報を発行しているのですが、そこに、次のような駄文を掲載いたしました。
最近読んだ本にあった地球の過去、現在、未来に関する驚きを表現したかったのですが、稚拙な文章で、どれだけそれを実現できたかは分かりませんが、ご紹介しておきたいと思います。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
京都太秦の広隆寺、豊かな微笑みを浮かべた弥勒菩薩に魅了された方は多いことと思います。
弥勒菩薩は、釈迦入滅後、なんと56億7,000万年後に修行を終え、如来となって人々を救うとされています。
(遅い、遅すぎる、56億饅頭。)
古の仏教哲学のなんとスケールの大きなことか。
ところで、56億年後まで人類は生き延びることができるのでしょうか? 昨今、世界に蔓延する「何とかファースト」による混乱の数々を見るにつけ聞くにつけ、危うさを感じるところです。人類が、幸いにもこの難局を乗り切り、地球と調和を保って長く繁栄することができたとした場合の話ですが、未来人は、どんな地球の変化を体験することになるのでしょうか。
太陽系が出現して40数億年も経っていますが、太陽の主系列星としての寿命は100億年以上。赤色巨星と化した太陽が地球を呑み込む前に、弥勒如来は「何とか間に合う」こととなるでしょう。これで衆生は救われる。よかった、よかった。
ほっと一安心と言いたいところですが、生命を育む地球の寿命は、残念ながら、それほど長くはないのです。
無尽蔵と思われている海水・・・実は、少しずつ大地の底に引き込まれつつあるのです。植物が炭酸同化作用を行う「原料」である二酸化炭素も、人類が化石燃料を使用することにより一時的に増えてはいるものの、長期的な傾向としては、大気中から地殻の中に引き込まれ、減り続けているのです。
地球上から水や二酸化炭素、植物が作り出す酸素が完全に消え去るまで10数億年。生命の維持に欠かせない水も酸素も二酸化炭素も不足し、10億年後には、地球上から生命は消えうせると予測されています。
地球上に出現して1億年の10分の1も経っていない人類が、あれこれ心配する話ではないかもしれません。しかし、有限であることを知り、この一年、この月、この日、このひとときを大切に生きること、感動を、日常を、気付きを句に表現していくことの大切さをしみじみと感じずにはいられません。
京都・奈良の~んびり旅行 2日目(奈良に着いた編)
奈良には、「京都・奈良の~んびり旅行」の2日目である12月24日の夕方に着きました。近鉄京都駅から特急に乗ったのですが、近鉄京都駅の特急券販売窓口の方が、
「え~と、次の特急は、大和西大寺停まりです。」
と仰います。
「乗り継ぎ特急で近鉄奈良まで行けますよね。」
これまでの経験から、接続する特急があるはずなので、そのようにお聞きすると、
「いいえ、ありません。普通の列車で行ってください。」
と自信満々に断言されるのです。
「そんな意地悪なダイヤを組むんだ。近鉄さん、不親切~。」
そう思いましたが、相手はプロ、本当なのでしょう。私たち夫婦は、
「こんなの初めてだなぁ。」とぼやきつつ、渋々、「不便な特急」に乗りこんだのでした。
ところが!
大和西大寺に降りて、次の近鉄奈良行きの列車を確認したら、なんと、特急ではありませんか! 遅れが出ていて偶然そうなった、というのではなく、正規の時間に来る列車。しかも空席だらけ! 近鉄京都駅の自信満々の駅員さんの大チョンボ。でも、京都に戻って嫌味を言うわけにも参りません。もやもや。
近鉄奈良駅からホテルまでは、つい最近、無料のシャトルバスが出るようになったことは知っていましたが、妻が、
「途中の商店街の雰囲気が私は好き! 歩いていく!」
と言い張ります。
あの~、私が、二人の荷物の大半を入れた重いバッグを抱えているんですけどぉ。
キャリーバッグですから文句を言う方がおかしい?
いえね、バッグを抱えて登るホテル直前の急勾配が大変なんですぅ。
歩行者専用の細い階段を重い荷物を抱えつつ、上がりましたよ、こやんぴは。
ふうふう、はあはあ。
係りの人がとんできて、
「あれぇ、駅から歩いてこられたのですか?」
シャトルバスがあるのになぁ、ばっかだなぁ、と心の中で思われているのでは? 人の心の中を読む天才(?)こやんぴは、とっさにそう考えてしまいます。
そこで、こやんぴ、
「シャトルバス、まだ着いていないですよね。シャトルバスと競争したんですよ、私たち。勝っちゃったみたいですねぇ。」
早い話が、「シャトルバスがあることぐらい知っているんだぞ」、それだけは言っておきたい、ただただ見栄っ張りのこやんぴなのでした。
この日から、奈良ホテルに二泊。
随分と贅沢なようですが、勤めていた頃にコツコツと貯めたポイントを利用するので、宿泊料は0円です。
奈良ホテルが2019年3月をもって、都ホテルグループを脱退してしまうため、慌ててポイントを使うことになったのです。
近鉄系列の都ホテルグループの一員だった奈良ホテルは、少し前からJR系のグループにも属するようになり、最近は、どちらかというとJR系のホテル感が増してきていたのですが、ついに・・・完全JR化。
このピアノは、その昔、アインシュタインが宿泊した際に、弾いたピアノ。
一時期、行方不明だったのですが、国鉄時代の大阪鉄道管理局の倉庫に埃を被っていたのが見つかり、奈良ホテルに戻ってきたものです。
解説版にも書かれていますが・・・
蒸気機関車の「動輪」がデザインされており、国鉄のホテル感がにじみ出ています。
この日は、クリスマスイブだったので、メインダイニングで食事をしました。
ただし、コースは頼まず、アラカルトでなるべくリーズナブルになるよう心掛けて。
というわけで、最初にセットされていたナイフ、フォークの多くが、この後、未使用のまま去っていきました。
クリスマス気分は、これだけ。でも、十分満足。
京都・奈良の~んびり旅行 2日目(京都編)その2 旧三井家下鴨別邸
さて、旧三井家下鴨別邸に入場します。
別邸は、高い塀に囲まれているので、中に入らないと、何があるのか、まったく分かりません。
門を入ると、すぐに、最近造られたと思われる小さな建物があります。
立派なので、てっきり、ここでチケットを販売していると思ったのですが・・・
トイレでした。
(写真を撮っておけばよかった。)
トイレのところを左折して前に進みます。右手には、家庭裁判所の建物が見えます。
雲を突く、と言っても大げさでないほど大きな樹木がたくさんあり、名残りのモミジも。散り落ちた紅葉も風情たっぷり。
さらに左に曲がると、やっと正面玄関にたどりつきました。
靴をビニール袋に入れて、上がりこみ、入場料410円を支払います。
すると、ビデオを流している部屋に通され、三井家の歴史や、この建物の経緯などを事前学習することとなります。
ビデオが終わった後も、係の方から、補足の説明があります。とても丁寧。
ご説明によると、別邸は、元々鴨川縁にあった明治期の建物を、大正時代になって、ここに移築したものだそうです。
なぜこの地に別邸が必要になったかというと・・・
明治時代に、三井本家をはじめとする多くの三井一族の人たちの本拠が東京になってしまったので、祖先神を祀る社のあるこの地で会合や宿泊をするため。
お金持ちは違いますね。
「旅館に泊まればいいや。」
などとは考えないのですね。
ビデオを見た部屋は、玄関脇にある広い部屋。すでに明治期の建物に入ると思い込んでいたのですが、ここは、大正時代に建てられた「玄関棟」なんですって。玄関部分だけで、日本の標準的な民家よりずっと大きい。
ビデオを見終わった後、3階建ての主屋を見学することとなります。
3階建てですが、普段見学できるのは、1階だけ。2階、3階は、2月のような閑散期に上がることができるのみ。でも、会議などの用途としては、それ以外の時期でも貸出し可のようです。会議で使ってみたいところですが、参加者全員が「きょろきょろ」していて会議にならないかも。
《 左の建物が玄関棟。これだけでも立派。主屋は、威風堂々。 》
床の間にお軸は「撮影禁止」。
でも、「遠くからならとっても良いですよ。」とのことでした。
床柱がすごいんです。
檳榔子(ビンロウジュ)だそうですよ。
ふすまの引手は、両替商のトレードマークであった分銅をかたどっています。金象嵌だったのかな。
昔の板ガラスには、何とも言えない風情がありますね。
明るくて、暖かくて・・・いつまでも座って庭を眺めていたくなります。
杉戸絵も撮影禁止。
でも、こちらも、「遠くからなら撮っても良いですよ。」とのことでしたので、撮影させていただきました。
お風呂。湯気抜きがあり、「湯気が天井からぽたりと背中に」落ちないような工夫がされているそうです。
くもり硝子の意匠が凝っていますね。
主屋から茶室(非公開部分)への渡り廊下の天井部分。ちょんながけですね。
向こうが茶室。茶室は、どうやら主屋よりも古いらしいですよ。
茶室の丸窓が見えています。
庭から拝見すると、主屋の豪華さがよく分かります。
池は、官舎時代には枯れていたとのこと。
旧三井家下鴨別邸は、お奨めです。ぜひお出かけください。
内田百閒さんになったような・・・
今日は、秋葉原駅近くの歯医者さんで、定期的なクリーニング。
川越の歯医者さんに通い続けていたら、今頃、
「もう、インプラントにするしかないですねぇ。」
とかなんとか言われて、100万円ほど請求されたかもしれません。
私の歯の問題個所について、川越の歯医者さんでは、まったくのお手上げだったのに、昔通っていたこちらの歯医者さんに移ったら、ちょちょいのちょい。その後、全然問題なし。
ずっと、こちらに通っていれば良かったと反省した次第です。
クリーニングを終え、どこかに寄っていこうかな、という気持ちになりました。
少しは元気が出てきたようです。
カメラ屋さんに寄ると、どうしても新しいカメラが欲しくなるので、最近は、寄らないようにしていたのですが、
「見るだけ、触るだけならよかろう。」
寄ってきました、ヨドバシカメラ。
うへぇ、ピントが合うのが速い!
あれまぁ、近接撮影がここまで可能なのか!
これはいけません、いつの間にか、値札を見ています。
だめだめ、見るだけだよ、こやんぴ。
パンフレットを数部いただいて、店を出ました。
次、どこに行きましょうか?
つくばエクスプレスに乗って、浅草にでも行ってみましょうか。
さっそく、階段を下りて、乗車口へ。
各駅停車が停まっていましたので、乗り込んだところ、
各駅停車ですし、昼間の時間帯でもありましたから、空いています。
発車したら、こやんぴ、早くも気が変わりました。
この路線は、秋葉原から浅草までしか乗ったことがないので、もう少し先まで行ってみようと方針変更。
南流山で降りて、武蔵野線で新松戸まで行き、流鉄流山線にでも乗ってくるか、そして、久しぶりに一茶双樹記念館に顔を出そうかな・・・
南流山が近づくと、またまた気が変わり、
「そう言えば、柏たなか駅は、義父の工場があった場所に近かったっけ。工場跡がどうなったか、見に行ってみようかな。」
ということになりました。
さて、柏たなかに到着しました。
降りようとしたのですが、電車の中から見える周辺の光景の変貌ぶりに、困惑。道路は広くなるし、ビルが林立している・・・
「これは下調べをしてから来ないと、何もわからないな。」
というわけで、工場跡地見学は断念。断念するのは残念ですが、断念でんねん。
つくばエクスプレス沿線の住宅開発のエネルギーにはものすごいものがありますね。駅数が少なく、駅間距離の長い路線です。高速で走るので、東京への通勤、通学にはとても便利だから当然なのかもしれません。
列車は、茨城県に突入。駅と駅の中間には、のんびりとした田園風景が広がるようになりましたが、駅周辺は、高層マンションあり、新興住宅街ありで、なかなかの賑わいです。驚きました。
乗車した各駅停車は、守谷が終点でしたが、こうなったら、乗り換えて終点のつくばまで行き、筑波山に登ってくるか、てな雰囲気に。
つくばに着きました。写真をスマホで撮ったのですが、ぶれていて使い物になりません。
バスターミナル近くのお蕎麦屋さんに入りました。
席はガラガラだったのですが、店員さんに、カウンターに座るように指示されました。一人の客は、どんなに空いていようが、カウンターに座るように命令しろと教育されているのでしょうか。好きに座ってもらえば良いのにねぇ。素直なこやんぴは、カウンターに座りましたが、ここで減点35点。
天ぷらそばを注文。
メニューには、
「うちは、蕎麦にこだわっているんだぜ~。蕎麦粉は地元茨城産を厳選。しかも、蕎麦は、挽きたて、打ちたて、茹でたて。天ぷらは揚げたて。そばつゆも化学調味料不使用、丹念に出汁をとってるんだから、そりゃあ美味いんだよ~。」
と言った趣旨が、丁寧な言葉で長々と書いてあります。
あっという間に、天ぷらそばが出てきました。
早い、早過ぎる! 空いているとはいえ、つくばエクスプレス並みの速さ! メニューに書いてある「三たて+揚げたて」に「?」が百個ほどつくほどの早さ。「三たて」は、最初から信じていませんでしたが、揚げたてはひそかに期待していたので、減点15点。これで、この店の持点は50点。
蕎麦は、出てくる早さから考えて、茹でた後冷水でしめたとは思えません。なのに、冷えていました、きんきんに。冷蔵していたのかなぁ。
とても美味しいとは言えません。減点20点。
天ぷらは、保温していたのかなぁ。そこそこではありました。そばつゆがまあまあだったので、甘めに減点10点としておきますか。
食べ終わりましたが、蕎麦湯が出てくる気配なし。減点20点。
お願いして、やっと出てきた蕎麦湯・・・
ぬるい、ぬるすぎる! 減点しようにも、すでに0点。
会計をする際に、
「蕎麦湯がぬるいのは、あまりよろしくないですよ。」
と、ニコニコしながらお伝えしておきましたが、改善する気があるのかどうか心もとない雰囲気。
バス停に向かいました。
おやおや、バスは出たばかり。次のバスが来るのは約1時間後。
ということで、地元産のなめこを買っただけで帰ってきました。
目的もない鉄道旅は、内田百閒さんみたいですが、文章は今日食べた蕎麦並みなのが悲しい。
「うまい、うますぎる!」・・・話がですか?
「うまい、うますぎる」と言えば、埼玉県民なら、即座に、
「十万石まんじゅう!」と答えます。
それほど有名な十万石まんじゅうを、久々にいただきました。
横のスマホと比べると、わりと小ぶりですね。
以前は、一個ずつ包装されてはいなかったような気が・・・
なぜ、埼玉県民が「うまい、うますぎる」とふられた場合、条件反射的に「十万石まんじゅう」と言ってしまうかというと、テレビ埼玉など、マイナーなテレビ局で、棟方志功の描く「豪快な姫君」が、ぱくぱくと饅頭を食べている姿が大写しとなり、ナレーションが、
「うまい、うますぎる、十万石まんじゅう」
と繰り返すために、脳内に摺りこまれてしまったのですね。
さて、この十万石まんじゅう、行田市のお菓子屋さんが製造しているのですが、私は、てっきり、江戸時代から続く伝統菓子とばかり思っておりました。
意外や意外、太平洋戦争後の作出らしい。
戦後、棟方志功は、よく行田を訪れていたらしく、その際、このまんじゅうを食べて、本当に、
「うまい、うますぎる」
と言ったのだとか。
ちょっと、話が、「うまい、うますぎる」ような気がしないでもありませんが、そうなんだそうなので、そうなのでしょう。
そんな縁で、豪快饅頭ぱっくり姫の絵も、棟方志功に書いてもらったらしい。
(私、最初にこの絵を見たときは、まさか志功の作品とは思わず、「へったくそな絵だなぁ」と本気で思ってしまいました。志功さん、ごめんなさい。)
テレビ埼玉は、昔のUHF局なので、実は、埼玉県民でも、チャンネルを合わせる人は多くありません。それなのに、テレビ埼玉で流れるこのコマーシャルが、埼玉県民の頭の中にしっかりと摺り込まれているのは、不思議と言えば不思議。
私の勝手な想像ですが、高校野球のテレビ中継の際に、このコマーシャルがばんばん流れるからではないでしょうか。地方予選の決勝以外は、テレビ埼玉(最近は、「テレ玉」と呼んでほしいらしいです。)でしか見ることができませんので、
「どれどれ、うちの学校は、勝っているかな?」
と、時々、テレビ埼玉にチャンネルを切り替えることがあるんですよね。で、「うまい、うますぎる」に出会ってしまう・・・。
あ、そうそう、まだ人気のなかった時代のテレビ東京でも、このコマーシャルは放送されていたので、東京、神奈川、千葉、群馬、栃木、茨城の人たちも見てはいたとは思うのですが、さて、どんな感想を持っていたことでしょうか。気になります。
京都・奈良の~んびり旅行 2日目(京都編)その1
京都・奈良旅行の2日目の朝がやってまいりました。
12月24日・・・クリスマスイブです。
ホテルのスタッフは、皆さん、サンタさんになっています。
熊さんも、クリスマスバージョン。
上目遣いのかわいいこと。
我が家の二代目ワンコ、コロちゃんによく似ています。
我々夫婦は、なぜか東山方面が好き。
京阪電車をよく利用します。東福寺駅のコンクリート枕木に記された1360の4文字。鉄道好きならすぐ分かる数字ですね。
そう、ゲージ(軌間、2本のレールの内側の長さ)が1,360ミリメートルであるということ。ちなみに、JRの在来線のゲージは1,067ミリメートル、新幹線は1435ミリメートルです(JR以外の鉄道は、敷設当時の事情により、いろいろのゲージが混在しています。)。
ずいぶん中途半端な数字ですが、元々インチ表示だったものをメートル表示に変更したから。インチ表示だと、すっきりした数字になります。
都電などの路面電車が1,360ミリメートルです。基本的に、1,360ミリメートルは路面電車のゲージなのです。このことから、京阪電車が軌道条例(現在の軌道法)に基づいたものであることが分かります。それを知って何になるの? と言われてしまうとそれまでなのですが、知っているとつい喋りたくなっちゃうんですよね。
「へぇ、こやんぴって、鉄道ファンなんだぁ。」
そうではなく、仕事で、鉄道会社さんと長い間お付き合いしていたので、業務の都合上、覚えただけのこと。電車に乗るのは子供のころから好きだったので、ぐんぐん覚えることができたのかもしれませんが。
地下化は、連続立体工事として行われたもので、琵琶湖疏水の下を走る難工事だったことを覚えています。
今日の目的地の一つが、旧三井家下鴨別邸。
ここ数年、京都はご無沙汰だったので、「旧三井家下鴨別邸」のことを知りませんでした。
「そんなの、下鴨神社の近くに無かったよなぁ、確か。」
観光案内を見て納得。
「ああ、そう言えば、家裁の所長の官舎があったっけ。へぇ、あれが旧三井家の住宅だったんだ。」
というわけで、下鴨別邸にお邪魔するのは、今回が初めて。
わくわくしながら、入場しました。
というところで、本日は、ここまで。
体調の関係もあり、「京都・奈良の~んびり旅行」記は、だらだらと続く予感。