セイタカアワダチソウ 猛威を振るったのも今は昔
セイタカアワダチソウ(キク科アキノキリンソウ属)は、切り花として明治時代に日本に渡来したようですが、日本国中に勢力を拡大したのは、第二次世界大戦の後、特に、昭和40年代だったようです。
その当時、鉄道脇の荒地などに、その名のとおり背の高いセイタカアワダチソウの大群落が広がり、秋になると黄色い花の絨毯が出現したようになっていました。
新聞には、
「ススキと生育環境が重なるので、この調子でセイタカアワダチソウが勢力を拡大すると、ススキが姿を消すかもしれない。」
といった記事が載っていたことを覚えています。
私も、
「このままでは、ススキが姿を消してしまう。セイタカアワダチソウって厄介な植物だな。」
と思っていました。
花粉症を引き起こす「犯人」扱いもされていて、嫌われ植物のトップの座を占めていました。
あれから随分時が過ぎました。
不思議なことに、ススキを駆逐する勢いだったセイタカアワダチソウは、いつの間にか往時の勢いを失ってしまいました。おとなしくなったと言っても良いかもしれません。
自然は、単一の植物だけが勢力を伸ばすことを肯んじないようですね。
そんなことから、嫌われ植物の首位の座も滑り落ちたようで、そうなると、過去のあらぬ嫌疑も晴れるようで・・・
セイタカアワダチソウは花粉症の元凶だということでも忌み嫌われていましたが、タカアワダチソウは虫媒花である上に、花粉も比較的重いため遠くに飛散することはなく、花粉症に関しては「無実」だったのです。
ところで、日本では、ススキを滅ぼしかねない悪い奴扱いされて、セイタカアワダチソウが嫌われたのですが、アメリカでは、日本のススキが厄介者扱いを受けているらしいですよ。