植木屋さんの引っこ抜きに怯える(?)庭の白い花たち
手入れをする樹木も少なく、どちらかというと下草の処理の方が多い我が家の庭に、文句も言わず入ってくれる植木屋さん、おしゃべりが大好きなとっても良い人。
でも、草本植物のことは、基本的に「邪魔な雑草」だと思っているらしく、
「ここのこれと、あそこのあれは間違っても抜かないでね。」
とお願いしていても、抜いてしまうことが多いのです。
富山の伯母からもらってきたキバナイカリソウも被害に遭い、大株だったのに引っこ抜かれ、今は、細々と生き残るのみ。これから大株に育てるのは大変です。
去年は、品種名を記した札が傍に差してあるダリア2本まで処分されてしまいました。これには驚きました。さすがに、「それはないだろう」と思いましたが、面と向かって文句は言いにくく、泣き寝入り。
ダリアでさえ、そのような運命となるのですから、白花のユウゲショウが無事であるはずがありません。「正真正銘の雑草」扱いで跡形もなくなりました。
ところが! 今年、実生で数株のユウゲショウが育ってきたのです。しかも、白花。
これはうれしかったですね。思わず、「お帰りなさい!」という声が出ました。
色素がまったくないということではないようで、薄~い桃色を呈しています。
昨年突然出現した白花のシランは、今年株数を増やし、花も昨年の倍以上咲かせました。
この花も、純白ではなく、赤い色素をほんの少し持っているようです。
それがまたアクセントとなって、とても美しいですね。
シランに次ぐ群落を形成している白花のホタルブクロも咲き始めました。
こちらも、よくよく観察してみると、赤い色素をごくわずか含んでいるように見受けられます。
織田家、奥平松平家の城下町「小幡」(群馬県甘楽町)
甘楽町の小幡地区は、昭和の名水100選に選ばれている「雄川堰」の清流が街中を流れています。
数年前に訪れたのが最初、昨年も出かけ、旧町人地区の「雄川堰」の清い流れに魅せられたのですが、今回は、陣屋や武家屋敷のあった地区を散策してきました。
甘楽町では、「織田家、織田家」と宣伝していますが、織田家が他領に移った後、明治維新まで続いた奥平松平氏には力が入っておらず、極端に言うと「ほったらかし」状態。
織田信長の息子で、司馬遼太郎さんの書かれた小説では、あまり良くは書かれていない信雄。信長死後、家康を頼って秀吉に対抗したかと思えば、家康に内緒で秀吉と和睦したものの、秀吉を怒らせて左遷され、形勢を見て再び家康に近づいて手に入れた5万数千石のうち、小幡は2万石でした。
信雄の子どもの代からは、たった2万石の小藩なので、財政的に苦労したものと思われます。その割に、大名庭園を作ったり、雄川堰を整備したりできたのは、信雄の時代は大和の領地と合わせ5万石を超えていたから可能だったのかもしれません。
案の定、東北に移った織田藩は困窮したようで、廃藩置県前は借金で首が回らない状況だったようです。
奥平松平氏も、同じ小藩の悩みを抱えていたらしく、やはり廃藩置県で借金地獄から抜け出せたようです。
両家とも、あまりイメージが良くありませんが、信長というビックネームがあるので、甘楽町は「織田、織田」となっているのかもしれません。
《 元武家屋敷の庭がよく保存されています。池の水は雄川堰から取り入れているとのこと。 》
《 城下町にはよくある食い違い郭。敵に攻め込まれたときの防御用と思うのですが、案内板には、その他の説として、下級武士が上級武士と顔を合わせないように隠れた、なんて書いてありました。そのために造ります、こんな凝った造作? 》
《 信雄が整備したという大名庭園「楽山園」。訪れる人も少なく、のんびりと散策できます。 》
甘楽町の小幡地区は、派手さはありませんが、訪れるとほっとする地区です。
アプト式鉄道遺構
今日は、学校時代のゼミ仲間との小旅行。
出足は、地元群馬に居住するYが、
「磯辺温泉のかんぽの宿の手前に、手打ちそばを食べさせる店がある。とてつもなくうまい、とまでは言わないけれど、量が多い。」
と自信満々に言うので、「量だけ多くてそれほどうまくないのかぁ。」・・・気が進まないままに、磯辺温泉へ。
かんぽの宿方面に向かうと、ありました、ありました。蕎麦屋が。
ただし、その廃墟。かなり前に廃業したらしく、店のあちこちが朽ち果てていました。
結局、かんぽの宿で、ごくごく平凡なうどんをすすり、一路軽井沢へ。
新緑に煉瓦造りの巨大な橋脚が映え、息を飲む光景。
来てよかったぁ。
幻のうどん屋事件の犯人Yの失策も、これで帳消し。
熊の平駅も見学。
ここは、アプト式遺構と新幹線開業と共に廃止された旧信越本線が合流する地点。
横川・軽井沢間の峻険を何とか越えようとした先人の努力の結晶が、今では過去のものになってしまったのですね。
ウノハナも、クワガタソウも、新緑を堪能しているようでした。
黄色いのに黒くてモジモジ
一昨日、南魚沼市のお松の池に会いに行きました。
お松つぁんにではありません。イトトンボ。
でも、ちょっと早かったみたい。小さな羽虫はごまんといたのですが、期待に反し、イトトンボにはとんと会えませんでした。
まとわりつく羽虫を払い払いしつつ池を一周。
途中、陸地でまったりしていた鴨の夫婦の邪魔をして、池の中に追い込んでしまったのは申し訳なかったかも。
イトトンボがいなかっただけではなく、チゴユリも咲いておらず、かと思えばショウジョウバカマはもう散っていて・・・
《 チゴユリの花はまだ。 》
《 ショウジョウバカマの花には遅かった。 》
でも、この花が歓迎してくれました。
薄い黄色でモジモジ咲いていますが、クロモジです。
羅城門の鬼の切り落とされた腕
秩父のある峠に毎年会いに行ったラショウモンカズラ(シソ科ラショウモンカズラ属)は、山野草らしからぬ豪華な花なのですが、数株しかなかったので、どことなく儚げでもありました。
私は、この花に「こじんまりと咲いている」というイメージを持っていたのですが、ここのお庭では、大きな欅の株下で大群落を形成していました。驚き。
その昔、羅城門に住まう鬼を渡辺綱が退治したという話があります。
渡辺綱は、豪の者ですから、鬼が出てきた途端に、「きゃあ」と言って逃げ出したりはいたしません。なんと、鬼の片腕を一刀のもとに切り落としたのだそうな。
綱の腕前はたいしたもので、「すごい」なぁ、そう思いますが、鬼さんの方は、突然の不幸に見舞われたわけで、さぞや痛かったことでしょう。
で、鬼さんの切り落とされた腕は、筋骨隆々でごん太いものだったはずです。
ラショウモンカズラの花を横から見ると、他のシソ科の山野草に比べると、ずんぐりむっくり。
鬼自慢の鍛え上げられた腕に似ていなくもない・・・ということで、ラショウモンカズラという名前となりました。