お寺の仕事が一つ終わりました
6月末が、お寺の檀家会計の年度末。
決算書を作り、伝票と収支証拠書類を整理の上、綴じ込んで・・・
今日は、監事による監査がありました。
会計処理は、複式簿記方式ではなく、お小遣い帳方式なので、どうということはありません。それに、収入、支出行為があった段階で、その件をちゃっちゃっと入力するだけで、その日までの執行状況があっという間に出てくるようにエクセルを設定しています。
ですから、檀家総代から、
「こやんぴ、今日現在の執行状況は?」
と聞かれても、即座に、
「何々事業費はこれこれ、例の事業費はあれこれ、あの事業費は・・・」
「執行残は、うん百万円なので、その修繕に資金を回せます。」
と、立て板に水で答えられるシステムを作り上げてあります。
であるならば、らくちん、らくちん・・・のはずなのに、ここにきてバタバタしていたのは、するべき作業を溜め込んでしまったから。
「こんなドタバタは、もう、こりごり。今年度は、せっかく作ったシステムが、その本来の機能を発揮できるよう、コツコツ仕事をするつもり・・・」
と、昨年度も、一昨年度も、その前の年度も誓っていたのですが、誓が守られた年度はありません。情けのない次第です。
でも、今年度は、本当にバタバタしないようにします(きっぱり)。
ああ、とにもかくにも、終わってほっとしました。
これで、私が読者登録をしている先輩たちのブログにお邪魔する時間が確保できるようになりました。
地元の盆踊りが近づいていて、また、そちらの方で忙しくなるのが気になるところですが・・・
かかりつけ医の先生のところにも、長く行けず、薬が切れていたために、血圧が少し高めになってしまいました。
監査が終わった後、自転車で、I医院へ。
稲も、こやんぴが忙しがっている間に、ずいぶんと伸びてきました。
上の写真は、医院に行く途中に撮影しました。真ん中に見えるのは、古墳ではありません。私は、若い頃、てっきり方墳だと思っていたのですが、以前にもお話したとおり、明治の末に関東を襲った大洪水の後、耕地に流れ込んだ砂利を掻き上げて作った「砂利山」です。砂利山に砂利を集めることにより、水田の復旧を図ったんですね。
大正時代の当地には、たくさんの砂利山があったとのことですが、東武東上線の延伸の際に砂利が売れたため、この砂利山を残して、他は耕地に姿を換えたとのことです。唯一残ったこの砂利山は、明治末の大洪水の貴重な証言者なのです。
I医院は、かなり混んでいて、診療が終わり、薬局で薬をもらった段階で、午後6時近くになっていました。
往路の空気中には「熱」が充満していたので、待合室に入ってしばらくの間は汗が吹き出し続けでしたが、復路では、心地よい風が熱を追い払ってくれていました。
今日も、川越では雷雨にはなりませんでしたが、北の方で雷さんが暴れたらしく、そのおかげで涼風が吹いたものと思われます。
入道雲がもくもくと湧いて、実に夏らしいスケールの大きな空。
帰りがけの田圃道に自転車を停め、雲を見上げ、稲穂が風に揺れる姿を美しいと思い、タニシが昔のように増えてきたことに感激して・・・
犬の散歩をしている人が、こちらに怪訝そうな視線を投げかけてきます。
「あっ、変な人がいる。」
そう思われているのかもしれません。じいじが、田の畔にしゃがみ込み、何かをじいっと見つめていたと思ったら、今度は、空を眺めてほか~んとしているのですからね。
なんと思われようと、実に良い夏空だったなぁ。
積乱雲は、かなとご雲になるまでには至りませんでした。
夕陽に、積乱雲の西側だけが光っています。
飛行機雲も、冬空のそれよりも力強く、ぐんぐん伸びていきます。
稲穂の揺れる 様を眺めていると、打ち寄せる波のよう。
涼風だったこともあり、実に清々しい光景でした。