強羅花壇で夕食を
日曜日から火曜日までの箱根旅行、バラやアジサイを堪能したばかりではなく、おいしい懐石料理も味わってきました。
強羅花壇で・・・
「え~っ! あの超お高い旅館に泊まったの? こやんぴってお金持ちだったんだぁ!」
違います。違います。宿泊先は、別。
昨年の11月、古い建物をこよなく愛する信濃の友人夫婦と私たち夫婦が、強羅駅周辺をぶらぶら歩いているときに、「旧閑院宮家」という看板を見つけ、その看板に誘われるままに迷い込んだのが「強羅花壇」。
徒歩、かつ手ぶらの私たち4人は、どう見ても宿泊客ではないにもかかわらず、従業員の方が「いらっしゃいませ~」と言いながら走ってこられます。恐縮して、
「違います、違います。」と手を振り、
「洋館を拝見に来ただけで・・・」
と、後ずさりしながら、しどろもどろ。
そんな、絶対に宿泊しそうにない私たち4人を、
「しっ、しっ」
と追い払うと思いきや、
「どうぞ、中に入ってご覧になってください。お茶もお飲みください。」
そんなわけで、絶対に宿泊できない宿の内部を拝見することができたのでした。
帰りがけに、すてきな洋館である旧閑院宮家別邸が「懐石料理 花壇」となっているので、恐る恐るメニューを拝見しました。
そうしたら、意外にリーズナブル。特にお昼の部はお値打ち価格。夕食でも、「背伸びをすれば何とかなりそう」価格だったのです。
そんなわけで、箱根1泊目の夕食を「懐石料理 花壇」でいただくことになった次第。
箱根登山鉄道の踏切(強羅花壇専用!)を渡って下って行くと、そこは駐車場。高級車しか停まっておりません。びびりのこやんぴは、一番奥にまで進んで、高級外車の傍らに我が愛車を隠すように停めたのであります。
※ これは帰りがけに撮った写真。
隣の外車の赤が眩しい! 高級車がずらりでした。
予約してありましたので、すぐに席にご案内いただけました。
私は、牛肉、豚肉、赤身の魚を控えているので、その旨を申し上げると、私の分だけ、すぐにご対応いただけました。さすがです。
※ そのようなわけで、私の「お造り」には、マグロが並んでおりません。
運ばれてくるお料理のおいしいこと、鮮やかなこと。出汁が丁寧にとられていることが、がつがつ食べるだけのこやんぴにもよく分かります。
一つ一つのお料理に対するコメントは、「がつがつ」のこやんぴには出来かねますので、写真のみのご紹介となります。
2階にお客さんが入っていなければ、建物内部を見学させていただきたいところだったのですが、2階は宿泊客の方の小宴会が入っていたため、見学できず。ただ、男性用トイレが2階だったので、ちらっと雰囲気だけ確認することができました。
大満足の私たち夫婦、外に出てみると、洋館を月が明るく照らしていました。
ケーブルカーで花めぐり(後半)
前回は、ケーブルカーの無駄話で時間を潰してしまい、強羅公園の途中で迷子のような状態となってしまいました。
今日はそのようなことにならないように・・・
ところで、トロリーバス。東欧ではまだよく見かける乗物ですが、日本では立山黒部アルペンルートに2路線が残るのみ。これ、どう見てもバスですが、無軌条電車と言う名の電車。ですから、運転士さんは、大型二種免許の他に電車の免許も必要で・・・
いけません、いけません、これでは、昨日の二の舞です。
さあ、さあ、温室に入っていきましょう。
うん? 「二の舞」? どういう意味だろう?
「ほらほら、こやんぴ、温室に入りますよ。」
おぉ、マンゴーが実っています。
我が家にも実生のマンゴーがありますが、温室なしで実をつけるまで育つでしょうか? 冬の間は、新しい葉が出てくることはなく、他の季節でも、ある時突然赤黒く柔らかな葉が出てきて、それが固い緑色の葉になって、また長いこと休んで。そんな育ち方をしています。
これは何でしょうか? 名称を書いた札を見落としました。
よくもまあ、エビに似た花をつけることよ。
コエビソウ。へえ、キツネノマゴ科なんだ。知りませんでした。
エビに似た花をつけることによって、何かメリットがあるのでしょうか。それとも偶然?
ブッソウゲ(ハイビスカス)は、豪華な花ですね。花柱が突き出ているのが特徴的。
鼻っ柱が強い?
ブーゲンビリア。色とりどりの花に見える部分は、苞葉、つまり葉っぱであり、本当の花は、苞葉の中で慎ましく咲くのですね。
オシロイバナ科なんだぁ。そう言われれば、本当の花の部分は、オシロイバナに似ていなくもないですね。
川越では、そろそろ紫陽花が満開に近づいていますが、箱根の路地ではまだまだ。
紫陽花には早かったな、そう思っていたら、強羅公園の温室内で、咲き誇っている彼ら、彼女たちに会うことができました。
輪になってダンスを踊っているようです。
歓迎してくれているのかな?
新品種が次々と出てきますね。飾り花がどんどん派手になっていく・・・
これはまた、なんとも高貴な色。一目ぼれしてしまいます。
ブルー系は、落ち着いた雰囲気で、梅雨にふさわしい色あいと言えるかもしれません。
濃いも薄いも。
我が家の花に似ています。こちらの方が鮮やかかな。
強羅公園見学の最後に、多くの紫陽花さんに出会い、とても幸せな気分でした。
朝の9時ちょっと過ぎから12時を回るまで、強羅公園にいたことになります。一日いても飽きないくらい多くの花に出会えるとても素敵な公園ですね。また、季節を変えて訪れたいと思います。
午後は、車に乗り、仙石原方面に向かうこととしました。
一度、宿に帰るために、公園下駅からケーブルカーに乗車しました。
始発の強羅駅を望むことができます。ケーブルが一本しか見えていませんが、それは、ケーブルの巻き上げを山頂駅で行っているためです。途中ですれ違う車両は、後の方にケーブルを備え付けていて、それにより頂上から少しずつ引き降ろされてくるので、登り用のケーブル一本しか見えない、ということです。
登りの電車が強羅駅を出るのは、公園下駅の滑車がカラカラとケーブルを送り始めることで分かります。
公園下駅と公園上駅の間で、上から降りてくる車両とすれ違います。ロープの位置で分かるように、両者が各々のロープ側を通行して複線となった一部区間で交差することになります。
複線区間の通行に当たっては、我々の乗ったこの車両(仮にA号車とします。)は、登りでは右側通行、降りでは左側通行、もう一方の車両(こちらは仮にB号車。)は、登りでは左側通行、降りでは右側通行と決まっているのです。
なぜか? それは車輪に工夫があるからです。
登りの際で説明すると、A号車の車輪のうち、右側にのみ溝が切ってあり、レールをしっかり握っていて、左側はレールに乗っているだけ。B号車はその逆です。
したがって、複線区間に侵入する際は、溝が切ってある方に車両が自然と誘導されるのです。
公園下駅も公園上駅も無人駅なので、先頭にいらっしゃる乗務員さんの所まで整理券と料金を持って走りました。良い運動です。
線路上にケーブルが見えますが、これは、この車両のものではなく、先ほど下って行った車両のもの。
多くの観光客を乗せたケーブルカーは、山頂駅である早雲山駅に向けて登っていきました。お世話になりました。
午後は、じいじが行く所ではないかもしれませんが、星の王子さまミュージアムを訪れました。展示が素晴らしく、作者であるサン=テグジュペリの波乱にとんだ生涯をよく理解することができました。
ちょうど皇帝ダリアのプレゼントの時間帯に入場したため、思わぬお土産もゲットすることができました。
三日目は、地元の会合があるため箱根を早立ちしたので、どこにも寄ることができなかったのは残念です。
しかも、圏央道で何か所もの交通事故があり、途中で一般道に降りざるを得ず、会合に少し遅れてしまいました。
まだまだ乱暴運転をする人が多いですね。我々も箱根二日目に、山道で後の車にあおられる経験をしました。
交通事故を起こせば、急いでいたこともすべて無駄になり、下手をすれば命を落とすことにもなります。安全運転をお願いしたいものです。
ケーブルカーで花めぐり(前半)
ケーブルカーについて
ケーブルカーとロープウェイ
私が仕事の関係で鉄道と関わっていた頃は、ケーブルカー(鋼索鉄道)は、国の免許上、一般の鉄道と同じ法律、地方鉄道法に基づいたものでしたが、ロープウェイは、索道規則に則っていました。
今では、両方とも、鉄道事業法が根拠法令となっています。
ロープウェイも「鉄道」になった、というわけ。
ケーブルカーにはレールがあるので、
「わあ、変わった電車だ。電車の中に階段があるよ。わあいわい。」
と、子どもたちにも、すんなり受け入れられます。
でも、私がロープウェイに乗って、
「電車、電車、キャッホー。」
と叫んだとしたら、周りの観光客たちは、全員が私から1メートルは以上も遠ざかり、なかでもお母さんたちは、子どもたちに、
「あのお爺ちゃんに近づいちゃだめよ。」
と、ささやくことでしょう。
信念のあるガリレオ・ガリレイは、
「それでも地球は回っている。」
と言ったとされていますが、そういうものの欠片もないこやんぴは、
「それでもロープウェイは鉄道である。」
などと超然たる態度はとれないでしょう。
索道鉄道説をさっさと放棄し、
「電車じゃなかった、電車じゃなかった、ホーイホイ。」
と呟くこやんぴに、乗客はさらに後退り。その結果、なんとも姑息なことに、こやんぴが絶景を独り占めしたりして・・・
ケーブルカーに話を戻して・・・
ケーブルカーには、一番先頭の位置に乗務員さんが乗っていますね。
「運転士が乗っているのは当たり前じゃあないの。」
ところが、違うのです。
運転士は、駅でケーブルの巻上げ機を操作しているのです。確かに、「運転」しているのはこちらの方。したがって、車両に乗っている方は「車掌」ということになります。非常時にブレーキ操作はするそうですが。
もう一つ。
ケーブルカーは英語です。そこで英国人の友人との英語レッスンの際に、たどたどしい英語で、
「この間、箱根でケーブルカーに乗ったんだ。」
と話した場合、彼は、日本語訳で表現すると、
「へーえ、ロープウェイに乗ったんだ。」
そう、解釈するそうですよ。
日本で言うケーブルカーは、イギリス英語ではフニクラーというらしい。
フニクラ・フニクリから来ているのでしょうか。
次のレッスンで確認しなければいけませんが、
「ケーブルカーでいいんじゃないの。」
と言ったりして。
やっと強羅公園の話
強羅公園の話をする前に疲れてしまいました。
「おいおい。」
箱根のフニクラー、じゃなかったケーブルカーには、公園上駅と公園下駅があります。中強羅から見学に向かう場合、体を鍛えたければ公園下駅下車、楽をしたければ公園上駅下車がよろしいかと。
なにせ、箱根登山鉄道さんがケーブルカーの脇に整備した公園ですから、勾配がきつい。当日も、公園下駅から歩き始めようとしていた家族連れの中で、こやんぴの幼年時代そっくりに「根性なし(多分)」の男の子が、まだ数歩しか歩いていないのに、
「もう歩くの嫌!」
と愚図っていましたからね。
そんなわけで、私たち夫婦は、公園上駅で下車し、強羅公園を下りつつ楽しみました。
バラが咲き誇っております。中国人の若いお姉さんたちが、シャイな私には恥ずかしくてできない「俳優さん成りきりポーズ」。絶景ポイントを長々と確保し、自撮りしていました。
アップしたら、ちょっと花が痛んでいることが分かりましたが、それでも綺麗な花。グランドカバーとして使われているオドリコソウの仲間です。
雑草のヒメオドリコソウは、人から愛されるまでに「工夫がもう一歩」だったかも、そう思います。まあ、その一歩のハードルがかなり高いのですが。
純白のアスチルベ。
いつ、散るんだい?
今日は散らねえな。まぁ、明日散るべぇ。
(実際は、翌日に散りそうな雰囲気はありませんでした。)
公園内に、以前ご紹介したジャケツイバラもありました。すごい蔓です。これでは、花がいくら綺麗でも家庭の花壇には向きませんね。
公園内の白雲洞茶苑を訪れました。
まずは、建物の外観とお庭を拝見。
渋い建物です。国指定の登録有形文化財とのこと。
茶花園で見つけた草花は・・・
ウバユリ。夏に花が咲く頃には、葉が枯れそうになっているので、「葉なし」から「歯なし」となって、お婆ちゃん百合と命名された次第。
女性陣から、爺百合に改名しなさい、という声が聞こえてきそうです。
フタリシズカも、これほど花穂(すでに実の状態)が立つと、「寄らば姦(かしま)し」と改名した方がよいかと・・・
あれれ、姦しいには、「女」という字が三つも。
これもクレームが付きそうですね。
白雲洞。
こちらでお茶をいただけます。お菓子付きで500円はリーズナブル。
床柱は、奈良当麻寺で使われていた古材だそうで、千年は経っているとのこと。
冗談にも、
「あっ、アスチルベが活けてある。明日散るべぇ」と無駄口をきく雰囲気ではありません。
無駄なものをそぎ落とした究極の省略の美のもとでは・・・
この他には、もう二つ、それぞれ特徴のある茶室があります。
うわぁ、なんじゃこりゃ。
おお、ムサシアブミではないですか。同じサトイモ科の仲間たちに比べると、その迫力、半端ではありませんね。公園入口に、好対照ともいえるカラスビシャクが咲いていたので、そちらの写真も撮っておくべきでした。
白雲洞茶苑を出てすぐのところに、ホタルブクロが。
でも、どこか変。
花屋さんのカタログでは見たことのある二段咲でした。
花はとっくに終わっていましたが、イカリソウの若葉もきれい、可愛い。
この後、温室に向かいましたが、今日はここまで。
こやんぴ流、引っ張りの術。
「ケーブルカーの無駄話が長過ぎるからじゃないか! まったくもう。」
仰るとおりです。一言もございません。
開花直前の花嫁御寮
昨日の午前中は、日赤への寄付などと緑の募金の集金日。
ちゃっちゃと終了させて箱根に出発したかったのですが、担当者が足らず、集金額の最終確認までに時間がかかったため、お昼過ぎの出発となってしまいました。
それでも、圏央道さま、ありがとう! 1時間ちょっとで箱根に到着。
箱根ガラスの森美術館は、あまり行かないのですが、バラが満開とのこと、入ってみることにしました。
入館料の他に駐車料金も必要。「箱根方式」なんですね、ここも(無料の施設もあります)。でも、岡田やポーラなどよりも安く300円。
バラが盛りをちょっと過ぎたところ、だったでしょうか。
駐車料金も、入館料も、
「これなら安いや。」
と思える花に出会いました。
花嫁御寮のように清楚な花に。
キンラン。
昔は、そこら辺の林地に普通に咲いていたらしいのですが、きれいなので乱獲され少なくなってしまったようです。移植を嫌うので、掘り起こした人たちの中で、どれだけの人が、その美しさを堪能できたことやら。
えっ? キンランがなぜ花嫁御寮なのか?
こやんぴ流をかじったことのある方なら、もうお分かりですよね。
金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮は何故泣くのだろ
「く、くっだらねぇ。」
おっしゃるとおりです。
館内で開催されていた「華麗なるバロヴィエール一族展」も、見応えがありました。
豚のサラダ?
1999年、こやんぴは、宮澤賢治研究の第一人者であるH先生一行のサハリン学術旅行に、金魚の糞としてついていったことがあります。賢治と同様、稚内から船に乗って。
稚内で事前調査をした際に、空き地のそこここにタンポポに似た背の高い花が咲き、海からの風を受けてゆらゆら揺れていたことを覚えています。
名前も知っていました。タンポポに似た外来植物が北海道を荒らし回っていると聞いていたからです。
ブタナ。
「『豚の菜っ葉』かぁ、ちょいと気の毒。」
そう思っていただけのブタナ、21世紀になってから川越にも進出してきて、
「おやおや、こやんぴ、お久しぶり。」
などと、花をゆらゆらさせながら話しかけてまいります。
挨拶をされても、
「なんだよ、外来生物。へ~んだ。」
と、すげない扱いをしていたのですが・・・
最近、ほんの気まぐれで近寄り、じいっと眺めてみました。
おや、葉っぱがおもしろい。冬越しが終わっても、地面にへばりついたロゼット葉のままに近い状態。申し訳程度に葉を繁らせるだけ。
それでいて、花茎の方はぐんぐんと高く伸ばすので、花だけが目立つのかぁ。知らなかったなぁ。
この花のことをフランス語では、「豚のサラダ」と言うそうです。それで、「ブタナ」。
食用になるようです。しかも、美味しいらしい。
食い意地方面から、じわじわと興味が湧いてきました。
アナベルのお辞儀、再考
アナベルが雨に弱いのは間違いありません。
水やりをすると、当家の他のアジサイたちは、キャッキャキャッキャと大喜びをすのに、アナベルは、
「水は足下にかけてね。」
と言うばかり。
「いやいや、遠慮することはないよ、アナベルちゃん。」
そう言って、ほんの少しだけ頭から水をかけようものなら、
「ごめんなさい、ごめんなさい。謝るから水をかけないで!」
すぐに頭を垂れてしまいます。
なぜ、日本古来のDNAを有するアジサイは雨に強く、イリノイ生まれのアナベルは弱いのか?
ネット検索をしたところ、なんのことはない、セイヨウアジサイ(日本由来)に多い、装飾花だけの、いわゆる手まり咲きの仲間は、雨が続くと、頭が重くなって「ごめんなさい」をしてしまうらしい。
アナベルも、手まり咲きと言えるから、当たり前なのかな?
それにしても弱すぎないか・・・
ガクアジサイ系の花は、中心部に装飾花が無いので、水をさらっと受け流すことができます。これなら、長雨でもへっちゃらですね。
当家の手まり咲き系の花も、よく見ると、いくつもの枝の上についた花の集合体。毛利元就の三本の矢の教えのとおり、これなら強い! ここら辺がイリノイ生まれで武士道とは無縁のアナベルとの違いなんだ。やったぁ、分かっちゃった。
そう思って、最終確認のつもりでアナベルの花の下を覗いてみたら・・・
あれまあ、日本のものよりも「毛利元就」じゃあありませんか。青い目のサムライ。一つの枝の上に重い頭を載せていたのではなく、いくつもの枝でお神輿を担いでいたのです。
ブロッコリーみたい、とも言えます。
こやんぴ、分かっちゃってはいなかったわけです。こやんぴ、仮説、大崩壊。
単純に、アナベルの茎が、日本系統のアジサイのそれよりも頑丈ではないからなのかなぁ。まあ、確かにアナベルの茎は華奢だけれど、じゃあ、何でそうなの?
原産地は「湿潤」とはいえ、日本の平均降水量(約1700ミリ)とは比較にならいくらいの降水量(南部は1200ミリ、北部は900ミリ程度)だし、梅雨のような長雨はないみたいなので、茎をそれほど強くする必要がないということなのか・・・
分かんないなぁ。
やれやれ、消化不良の「自由研究」になってしまいました。
評価は、「もっと頑張りましょう」ですね、これでは。
アナベルの花が、多くの枝に支えられた「お神輿」だったことを、こやんぴ、この世に生をうけ67年目にしてはじめて知ったのが唯一の収穫。