「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ

お散歩大好きの「こやんぴ」が、ふと出会った植物や動物たちについて思いつくままに記していきます。

こやんぴの鳥命救助 その2 気を失ったツバメ物語

 コロとのお散歩に出かけ、家の前の私道から市道に出てほんの数歩・・・

 ツバメが歩道に倒れているのをコロが発見しました。ぐったりとしていて羽ばたきもままならない状態。子スズメ「チュンチュ」の時よりも事態は深刻?

 

 近寄ってみると、息はあるようです。

 チュンチュの時と同様、そっと両手ですくい上げると、眼がぱっちりと開きました。すがるように私を見つめるその顔の愛らしいことといったらありません。

 「か、可愛いい!」

 どうやら、まだ巣立ったばかりで、その上に、こやんぴ同様におっちょこちょいでもあるらしく、ガラス戸にでも頭をぶつけ脳震とうを起こしてしまったようです。

 

 チュンチュ救出のノウハウがありますので、手頃な箱を見つけ、その中に温かい布を敷いて・・・と救出作業は手慣れたものです。水を飲ませると、しっかりと飲んくれました。ほっと一安心。

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 あれ、まてよ。スズメのチュンチュの場合は草食系だったので、ご飯粒で問題はなかったわけですが、ツバメは虫が無視できないほど好きな肉食系だったような・・・

 当時も大いに悩んだことだけは覚えています。でも、このツバメ「チュピピ」の食事問題をどう解決したかは、悲しいかな、はっきりと思い起こすことができません。エサを与えた記憶だけはありますので、かなり悩んだ末に、多分、家の周りでたまたま私の目に留まってしまった気の毒な小昆虫を与えたのでしょう。

 

 チュピピを保護したその日、玄関から外に出てみると・・・

 驚きです。電線に何羽ものツバメが並び、我が家をじいっと見ているのです。

 「ねえ、旦那、うちのチュピピを家の中に入れたでしょう? 私たち、見ていたんですよ。お願いです、旦那、チュピピを還して! お願いです。」

 そう懇願しているかのように。

 

 ツバメさんたちの心配はごもっともなのですが、飛べないチュピピを今放したら、猛禽類や猫などの餌食になってしまいます。ツバメさんたちと私との間にコミュニケーションが成立しないことがもどかしい。

 外のツバメさんたちには心配をおかけしたままで、こやんぴのチュンチュに対する介抱は次の日まで続くことになります。

 

 幸いにも、チュピピは次の日の朝、すっかり元気を取り戻していました。飛ぶことに何の支障もないようです。子スズメ「チュンチュ」の時と同じですね、よかったぁ。

 チュンチュの時と違うのは、玄関先の電線に、昨日同様、チュピピの両親、兄弟姉妹、その他親戚一同(多分)が勢ぞろいして、チュピピの帰りを待ちわびていることです。

 「チュピピ恋しや、ほうやれほ。チュピピ恋しや、ほうやれほ。」

 

 チュピピを玄関先まで手に載せ、電線の上に勢ぞろいする親戚縁者の前にかざしました。チュピピは力強く羽ばたき、まっすぐに彼ら、彼女らのもとへ。そして、私の家の周りを何回も何回も旋回した後に、チュピピとその家族は去っていったのです。

 

 それで話がおしまいにならなかったのが驚きです。なんと、次の日も、また次の日も、何日も、何日も、我が家の前の電線にチュピピと思われるツバメが何羽かのツバメと連れだってやってきて、我が家に向かって妙なる歌声を聞かせてくれたのです。

 

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 私は恩返しがしてほしくて介抱したわけではありませんから、チュンチュが人間に化身して我が家にやって来る、そして、高級な燕尾服を次々と仕立てて売りさばき我が家を大富豪にしてくれる、そんな昔話みたいな恩返しを期待したことなど一度もありません(本当です。)。ですから、何日も何日も我が家に足を運んでくれたチュピピたちのこの行動に深く感動した次第です。

 

 そもそも、巣立ち直後の若きツバメが、もしも、もしもですよ、竹内涼真君のような清々しい若者に化身してお礼にでも現れようものなら、家庭によっては一騒動巻き起こるのではないでしょうか。我が家は大丈夫ですけれどね。

 

 鳥命救助シリーズは、あと1回分、コサギ編が残っていますが、明日は2018年の初めの日なので先送りにし、少しは新年らしい話題にすることとします。

こやんぴの鳥命救助 その1 弱々しく啼いていた子スズメのお話

 ご近所を散歩していると、いろいろなことがあります。

 あれは、我が家の最初の愛犬「勘介」と二番目の「コロ」が一緒にいた頃のこと。

 二匹一緒のお散歩は、両者とも、あっちでクンクン、こっちでマーキング、そっちでクンクンと好き放題に動き回ります。このため、引き綱がよじれによじれ、元に戻すのに一苦労。そんな「より戻し」の作業に熱中していると、鉄道の土盛りの草叢になった所から、「チュンチュン」と啼く声が。

 

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 覗いてみると、スズメが一羽、かなり弱った状態で隠れていました。羽ばたきはできるし、血を流している様子もありません。どうやら猛禽類に襲われて傷を負ったわけではなさそうです。ちょっと小柄なので、もしかすると巣立ち直後だったのかも。兄弟姉妹の中で一番奥手で、うまく飛べなかったのでしょうか。

 そっと両手で抱き上げてみると、羽を少しバタバタするだけで、おとなしくしています。勘介もコロも興味津々。伸びあがって私の手の中のスズメを眺めようとします。

 「驚かしては駄目だよ、カンちゃん、コロ! かわいそうなスズメのチュンチュを助けてあげようね。」

 

 最近は、鳥インフルエンザの危険があるので、このようなことができにくくなりました。悲しいですね。

 

 カンちゃん、コロちゃんの了解を得て(?)散歩は後回し。早速、チュンチュを家に連れて帰りました。箱の中に布を鳥の巣状に設え、チュンチュをその中に収めました。妻にスポイトを探し出してもらい、まずは水を飲ませます。

 「あっ、飲んだ、飲んだ。」一安心です。嘴の動きの愛らしいことといったらありません。

 ご飯は食べるかな? 箸でご飯一粒をつまみ嘴の前に持っていっても・・・食べません。まだ、そこまでの元気はないようです。そこで、重湯状態にして、スポイトで再挑戦。

 「食べた、食べた!」これなら、何日かお世話をすれば、元気になりそうです。

 

 そんなお世話を始めて、さて、次の日の朝、チュンチュはどうなっていたでしょう。

 あれまあ、家の中を飛び回っています。完全に元気を取り戻してくれていました。

 これならば、世間の荒波にも耐えて生きていけるでしょう。

 ガラス戸を開け、チュンチュに「さあ、家族のもとにお帰り。」と言うと、チュンチュは、お土産を一つ置いて颯爽と飛び去っていきました。

 

 えっ、「お土産って何か」ですって。もちろん、金銀財宝の詰まった小さな葛篭でも、妖怪の飛び出してくる大きな葛篭でもありません。妻の大事にしているレースのカーテンにお礼のうんちをして出て行ったのでした。

 幸い、ちょっとだったので、その後も、レースのカーテンは本来の役割を果たしましたとさ。めでたし、めでたし。

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 あの頃は、カメラでチュンチュを撮っておこうという考えが一度も浮かばなかったので、残念ながら、チュンチュの写真も、チュンチュのお土産の写真もありません。残っているのは思い出だけです。

 

 次回は、ツバメのお話です。

 

薄明光線(冬の朝)と彩雲(これも冬)

 これも何日か前に紹介したものと同じ薄明光線です。前回は夕方でしたが、今回は朝日が昇ってくる前の現象です。

 太陽本体は写っていないのですが、朝日新聞の社旗に図案化されている「朝日」、あの放射状に延びる光の帯って「本当にあるんだな」と実感できるのではないでしょうか?

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 これは彩雲(さいうん)。七色に輝いていてきれいでしょう。

 雲の成分である氷晶がプリズムの働きをするんですね。

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 薄明光線も、彩雲も、それほど珍しい現象ではありませんので、皆さんも、空を見上げてみてくださいね。

 

 ところで・・・私が空を見上げるようになったきっかけは実に意外なものでした。

 

 我が家の初代犬「勘介」は、勇ましい名前には似合わず、とても穏やかないい子だったんです。そんな彼が、よく晴れた日に散歩していると、時々空を見上げるのです。まるで、「お~い、こやんぴ! 気持ちよい青空だよ。ほら、あそこにチョウゲンボウホバリングしているよ。」などと言っているかのように。

 

 ある時、いつものように勘介と一緒に青空を見上げていた時、ハヤブサがスズメを捕まえる瞬間を目撃しました。軽井沢ではヤマセミの飛翔を楽しんだことも。

 それからは、空の虜になってしまったのです。

通院生活 一昨年に大病を患って

 今日は、2~3週間に一度の通院日。

 一昨年の正月に体調をこわし、翌月に生まれて初めての入院、そして手術を経験しました。幸い手術は成功、いつもどおりの生活に戻っていたのですが、一年後に再発し、通院が欠かせない身となってしまいました。

 

 治療に若干の副作用が伴うため、通院日から数日間はぐったりすることはありますが、普段の生活に大きな支障があるわけではありません。再発診断の頃より、かなり良くなってもいるようです。それもこれも、担当医の先生の的確なコントロールと、多忙な妻による生活面のサポート、特に私向けの食事づくりのおかげだと思っています。

 妻の努力に報いるためにも、未完の仕事を前に進めるためにも、「必ず治すぞ」の気力を持ち続けて力強く生きていこうと考えています。

 

 以下は、昨日と同様、句会報に掲載した一昨年の入院の際の手記です。

 国保財政に今でも負担をかけ続けている私には言う資格がないのですが、自分のためにも、家族のためにも、そして社会のためにも健康第一、本当にそう思います。

 

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 新年早々、健康だけが自慢の私を高熱が襲ってきました。恒例の親戚会にも、クラス会にも出席できず仕舞い。かかりつけの医院も年末年始のお休みのため、ただ寝ているだけの三が日でした。

 4日には、平熱となったのですが、インフルエンザも疑われるほどの高熱を経験したこともあり、念のため、受診することにしました。

 

 検査の結果、インフルエンザではありませんでした。喉も腫れていないことから、単なる風邪でもないようで、先生も、「なんの熱だったのだろうねえ。」と首をひねっていました。ただ、「ずいぶん、顔色が悪い」ということで、血液検査をすることに。

 翌日、医院が休診日であるにもかかわらず、先生から電話がかかってきました。気になったので、検査結果が送られてくる前に、検査機関に問い合わせをしてくれたようなのです。その結果は、先生が驚くほど赤血球の数が少なかったとこのこと。

 

 「そう言われてみれば」なのですが、昨夏以来、体は、「こやんぴ、医者に行った方がいいよ」との黄信号を発し続けていたようです。せっかくの黄信号を、「大丈夫、大丈夫」と無視し続ける私に業を煮やしたのか、体が究極の赤信号を発したのがお正月の高熱だったのかもしれません。 

 

 結局、2月4日に入院、絶食のまま、10日に手術を受けることとなりました。鎮痛剤が効いていたため、激痛ではありませんでしたが、それでも、かなり痛い目に遭いました。健康の過信はいけませんね。深く反省した次第です。

 

 手術のあと2日ほどを除き、入院中は、時間がたっぷりとあります。この間、俳句の勉強でもすればよいものを、他の重い本を持ち込んだため、俳句の本は選から漏れてしまいました。句会破門ものの所業です。

 とはいうものの、まったく俳句のことを忘れていたわけではなく、私にとっては「異常体験」であるこの入院を、どのように句で表現したらよいかを考えないではありませんでした。ちょっとだけですけれど(コレコレ!)。

 

 「それでは、何句か発表してみなさい。」

 いえ、それがその・・・

 

      春浅し点滴のみで生きてをり

      おづおづと傷に手を添ふ春の宵

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 ああ、やっぱり、俳句の本を持っていけばよかったなあ。

 

幻日(げんじつ)が出ると次の日は荒れた天気

 私は、あまり詩や短歌、俳句などの韻文の感性がないようです。友人に誘われて俳句を始めたのはよいのですが、とんとうまくなりません。所属している句会の例会は月にたった一回だけなのに、当日の朝になっても、自分の句が「できていない! どうしよう?」ということが再々なのですから、上達しないのは当たり前ですね。それにもかかわらず、生来のおっちょこちょいが災いしたのでしょうか、いつのまにか、その句会の幹事に祭り上げられてしまいました。

 

 幹事の役目の一つに句会報の編集作業があります。句会報には、前月の句会の結果報告の他に、句会メンバー持ち回りによるミニエッセイなどを掲載しているのですが、エッセイの引き受け手の原稿が締め切りに間に合わないことがたまにあります。

 

 そのようなときには、やむを得ず、私がピンチヒッターを務めることとなるのですが、この代打、三振や凡フライばかりなので、監督や観客からいつも白い眼で見られるています。以下のエッセイもどきも、つい最近、二死満塁の場面で代打出場し、みごと三球三振をくらった作品です。よろしかったらお読みください。

 

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 覚えておいででしょうか。何年か前の冬に関東地方に大雪が二回も降ったことを。そのうちの一回目の時は、その前の日がとても良いお天気で、私は天気予報を容易に信じることができませんでした。信じないことにへそを曲げたのでしょうか、天は「幻日」を出現させ、私を驚かせたのです。

 

 「幻日ってどんなお化けなの?」とのお尋ねですか。いえいえ、お化けなんかではなく気象現象です。天文気象も俳句の大切な題材の一つですから、皆様が俳句をお作りになる際のお役に・・・たたない可能性は大相撲の巨漢力士よりもずっと大きいとは思います。そこのところ(どこのところ?)は、小兵の貴景勝が小結に昇進したことでもあり、広いお心でお許しいただき、少しばかりお付き合いをお願いいたします。

 

 テレビで、「明日、関東地方は大雪」と大騒ぎしていましたが、夕方になっても、翌日の荒天を予想させるものなど、どこにも見当たりません。当時の私は、「夕焼けサイクリング」を恒例行事としておりました。夕陽のガンマンならぬ夕陽のカメラマンです。苦み走っています。

 

 しかし、当日は雲の配置からみて綺麗な夕焼けは望めそうにもありません。寒いことでもあり、「お休みにしようかなぁ」とも思いましたが、夕空はとても気まぐれ。急に大空一面を紅色に染めることもあるので、後になって悔やむのも業腹というもの、愛馬ならぬ愛自転車のサドルに跨ったのでございます。

 

 何気なく西の空に目を向けると、沈まんとする太陽のはるか南側に、ぼんやりと虹色に輝いているものが。

 「あっ、太陽の犬だ!」。

 「犬」とは言うものの、太陽さんが虹色に輝く毛並みの名犬を飼っている、という訳ではありません。「幻日」とも呼ばれ、太陽から離れた場所に、「ここにも太陽があるよ」とばかりに出現して人を惑わせる自然のいたずら。

 

 この日、「幻日」が「現実」のものとなったのには理由があります。えっ、「げんじつ繋がりのダジャレを言うと思った」ですって? 図星です。今日のお客さんは鋭いや。白状すると、さっきから言いたくてウズウズしていたのです。

 

 話を元に戻しましょう。高い空に浮かぶ雲は、実は、六角柱の氷の粒の塊なのです。これがプリズムの働きをして、条件が揃うと「幻日」が出現するというわけです。必ず太陽から二十度ほど離れた真横の位置に現れるのですから不思議です。幻日の光はとても淡いので、カメラの指示する「適正露出」ではよく写りません。露出補正をすることによって、おぼろげではありますが、この現象を確認できる写真を撮ることができました。

 

 虹色に輝く「太陽の犬」すなわち「幻日」の上の方に注意を向けてください。太陽を囲むように、うっすらとした線のようなものが見えないでしょうか。当日のように薄い雲が太陽の周辺を覆っていると、太陽のかさ、「暈(うん)」を確認することができます。眼を細めて眺めていると見えてくるはずですがいかがでしょうか。「うんうん」とうなずいていただければ幸いです。

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セイタカシギ?

 今年の8月の末、近所を散歩中に、休耕田の中を歩く見知らぬ鳥に出会いました。

 足がうらやましいくらい長く(ということは、私の足はそうではないということになりますね。図星です。)、実にスマート。

 

 もともとカメラの腕前がいまいちである上に、コンデジを手持ち、かつ最望遠で撮影したのでシャープではありません。恐れ入ります。

 

 帰宅後に調べたところ、どうやらセイタカシギのようです。

 それにしても、凛としたその歩き方・・・なんとエレガントなことか。

 

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社労士のカメラ散歩 薄明光線

 はじめまして。

 特定社会保険労務士を職業にしています。

 

 近所をカメラ片手に散歩するのが大好きです。

 そこで出会った風物について、少しずつ述べていきたいと思います。

 

 写真は、最寄り駅で眺めた「薄明光線」です。「天使のはしご」などとも呼ばれています。

  眉月も見えていますね。

 

 

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