これってヒガンバナなの???
今年は、昨年に比べるとヒガンバナの開花が遅れています。
去年の写真を見ると、この時期、ヒガンバナはもう満開。でも、今年は、やっと咲き出したところです。
昨年の9月前半、川越は晴れの日が多く、雨の日はありませんでした。それに対し、今年はぐずついた天気続きでしたから、そのせいなのかもしれません。
とは言え、お彼岸の頃に咲いていた数十年前よりはかなり早い開花が続いているので、「敬老の日花」と名を変えるのも遠い日ではない・・・わけはないですね、ヒガンバナはヒガンバナ。
今日現在の入間川河川敷の平均的な開花状況は、こんな感じ(下の写真)です。
もちろん、早く咲いている株もあるにはあるのですが、まだまだ少数派。
ヒガンバナも花が盛りを過ぎると色がくすんで見苦しい姿となりなす。したがって、群落としての最盛期にヒガンバナの写真を撮る際には、盛りを過ぎた花をどう処理するかに苦労します。
咲き出しの頃は、そういう心配がないのが良いですね。
管理された園地で栽培されている場合には、たとえ色変りの花が混じっていたとしても、
「園芸種のリコリスの球根を混ぜているのだな。」
と思うことでしょう。
悩ましいのは、自然の林野に、白花や色鮮やかな花を咲かせる個体が混じっているとき。これは迷います。
「突然変異かな?」
よく知られているように、ヒガンバナは、もともと日本には存在しなかった植物で、古い時代に中国から人為的にもたらされ、人為的に広がったものとされています。
三倍体なので、種が稔ることはまずありません。
球根で増えるしかないので、洪水などで下流に運ばれるだけでは、水田の畔などに咲き誇るようにはなりません。私たちの先祖たちが、田んぼの畦などにわざわざ植えたのです。球根に含まれる毒により、ネズミやモグラがいたずらするのを防いだのだ、そう言われています。不作の年には、毒を水洗いして食したとも。
基本的に種では増えないので、実生で親とは違う形質を備えたヒガンバナが誕生することはありません。
ある球根が「異常」を起こし、色が付かなくなってしまった、ということは考えられますが・・・
今日歩き回った場所にも、白いヒガンバナがありました。真っ白ではなく、黄色みを帯びていて、うっすらと桃色の部分も見られます。黄色なら黄色、白なら白、とメリハリの効いた園芸種とは違うような気がしますが、さて、どうなんでしょうか?
上の写真のような個体は、日高の巾着田でも見たことがあります。
ですが、これ(下の写真)には驚きました。
「なんじゃ、こりゃぁ。」
「鮮やか、鮮やか過ぎる、十万石ヒガンバナぁ。」
(これ、埼玉県民しか知りません。)
花の大きさは、キツネノカミソリを少し大きくした程度。
花弁に青紫の色が出るのところは、ナツズイセンに似ています。
これが、自然に生えてきたものだとすれば、大発見ものですよね。
《 ここからの数段落は、こやんぴの妄想です。 》
突如、こやんぴは時の人になりました。
この花の横で、にっこり微笑んだこやんぴの写真がでかでかと新聞に載ったからです。
新聞の見出しには、
「新品種のヒガンバナ発見! お手柄のこやんぴ翁(無職)」
という活字が、激しく踊りまくっています。
テレビ、ラジオの取材も、次々と入ってきます。
こやんぴ、今さら、新聞に顔写真入りで紹介されたり、八時二十分眉毛でテレビに出たりするの、好きじゃないんですけれどね。
だって、
「あいつ、前々から暇な奴だと思っていたら、想像以上の暇人だなぁ。」
とか、
「あいつ、年取ったなぁ。昔は好男子だったのになぁ。」(妄想です。)
とか言われるのは嫌ですもの。
「これこれ、こやんぴ、目を覚ましなさい。なんかおかしくないかい? 色も鮮やか過ぎないかね?」
「ぽつんと離れてたった一株というのも、ちょっと怪しいよね。」
もしかしたら、誰かが球根を植えたのかな???
「自然の中で、たくさんの人に綺麗な花を見てもらおう。」
という「善意」のかたまりの人かもしれません。
「これ植えといたら、おっちょこちょいが『新品種だぁ。』と騒ぎ出すだんべなぁ、くっくっくっく。」
という「悪意」丸出しの人物かも。
「花盗人」はごまんといます。それも困りものですが、善意であろうとも「花無断植え人」だってよろしくありません。だって、自然の微妙なバランスに波紋を投げかけているからです。動植物の営みを妨害しているからです。
いやいや、世紀の大発見の可能性もゼロではありません。
こやんぴ、この際、床屋さんに行ってこようかなぁ。眉毛も九時十五分に整えてもらおうかなぁ。