蓼科温泉共同浴場とナンバンハコベ
川越に帰ってきました。川越に帰ってくることを地元では帰川(きせん)と言います。そういう表現をする地方も多いと思いますが、だんだん「忘れられた言葉」になりつつあります。うろ覚えですが、井上ひさしさんの書かれた本の中に、井上さんのお母様がモデルの女傑が釜石で発行している新聞に、自分の息子が釜石に帰ってくることを「帰釜」と表現するくだりがあったような・・・。
それにしても「帰る川」かぁ。「帰らざる川」の方がかっこいいなぁ。マリリンモンローの歌も切なくて良かったなぁ。
でも、私の家は川越にありますので、「不帰川」だと、私、宿無しになってしまいます。ですから、かっこいい「帰らざる川」より、やはり「帰る川」に一票を投じておきます。投じても何もなりませんが。
今回の蓼科行きは、薬の副作用が「最高潮」の時に当たってしまい、お腹の調子がかなり悪かった上に、雨続きだったので、あまり写真の撮れ高はよくありませんでした。一眼レフの出番は、一度もありませんでした。
今日晴れていれば、周りにいろいろ「絵になる」ものがありそうな唐沢鉱泉に行こうと思っていたのですが、途中から未舗装道路ということもあり、残念ながら断念しました。また別の機会に行ってみたいと思っています。
ここは良いですよ。私たちは、蓼科に出かけた際には、最低でも一回は利用させていただいています。車の中に回数券を忍ばせているのです。
源泉が熱すぎることから、温度を下げるために加水していますが、完全なる掛け流し。湯口からは、いつも、勢いよく温泉がぼこぼこぼこぼこ湧き出しています。透明な温泉ですが、成分が良いのか、上がった後もぽかぽか。湯冷めしません。
入浴される方の大半は、地元にお住まいの方、別荘族の方。知り合いでも、知り合いでなくても、皆、あいさつを交わします。入浴ルールも厳格に守られていて、湯桶、椅子は、使用後、丁寧に洗って元の位置に返します。きちんとしているのです。
脱衣籠も、使用後は必ずひっくり返して帰ります。「ひっくり返し」は、籠の隅に忘れがちな小物などを忘れないで済む効果もあり、実に良い習慣だと思います。
シャワーはありませんので、髪の毛を洗うのは一苦労かも。
お風呂と脱衣場以外には何もないので、休憩室でのんびり、というわけにもいきません。湯上り後にのんびりしたい人は、温泉の向かい側にある元郵便局の喫茶店「銀のポスト」がおすすめです。
お湯の温度は高めです。熱いお風呂が苦手な人は大変かも。
私も、どちらかといえば温めのお湯の方が好みですが、熱めのお湯に入る時は、浴槽に入る前に十分に湯を浴びることとしています。肩まで浸かるのはほんのひととき、基本的には半身浴です。
この温泉は、入浴料が500円で、しかも掛け流しなので大好評。かなり遠くから車で入浴に来る人が多いのです。したがって、浴場前の駐車場の他に、二か所、広い駐車場があります。
そのうちの一つ、浴場の奥にある駐車スペース脇に、毎年、この植物が咲いています。
この植物に私が最初に出会ったのは、サハリン。1999年の夏のことです。
道端に咲いていました。変わった花の形なので、印象に残っています。
ご覧のように茎が細くなよなよしているので、自分だけの力では立ち上がることができません。
では、蔓性の植物なのかというと、蔓も持っていないのです。
そんな体たらくでは、地べたに這いつくばっていそうなものですが、どっこい、写真のように、ちゃんと空中で花を咲かせています。
じゃあ、どうして立ち上がっているの?
ごもっともなご質問です。実は、近くの植物にさりげなく寄りかかって生きているのです。図々しいようですが、人間にも、そういうタイプの人、結構見かけますから、この植物だけを批判するのはフェアではありません。それに、茎も葉も遠慮深げなので、寄りかかられた植物も、それほど気にしていないのではないでしょうか。聞いたわけではありませんが。
花の構造ですが、一番大きな薄い緑色の部分は萼です。萼同士がくっ付きあって釣鐘状になっているのです。
白くて小さな花弁は、立派な萼に比べ貧弱なのに、5枚とも虚勢を張ってそっくり返っています。その先で縮れていじけているのが雌しべで、その下にどんと控えているのが子房の部分。雄しべは、花弁の脇に見える白い筋のような部分、だと思います。
これは未成熟の実。本来5枚の萼がくっ付いているのがよく分かりますね。
雨粒を纏った姿が実に可愛らしい。
ご覧のとおり、熟すると黒くなります。