平将門に会いに行く
神田明神で「御神像奉納記念・特別公開 平将門公展2019」が7月1日から開かれています。
今回の特別展は、淺野健一さんの作られた「平将門命御神像」が神田明神に奉納されたことを記念するもの。神像は、通常、神殿に安置され、一般拝観できないとのことなのですが、特別展開催中は、この神像も資料館に展示されている・・・
そう聞いては、高校生のころからの平将門ファンたるこやんぴとしては、何としても平将門に会いに行かなければなりません。
幸い、7月5日が、東京医科歯科大学の検査日だったので、検査終了後、早速、すぐ近くの神田明神に出かけてきました。
まずは、拝殿にて「命」となっている平将門にごあいさつ。
特別展は資料館で開催しているはずなので、拝殿横手にある資料館を訪ねました。
あれ、閉まっています。しまった、今日は休館日なのか! 一瞬だけそう思いましたが、張り紙がしてあり、そこには「文化交流館の受付に回るべし」という趣旨が記してありました。
文化交流館は、昨年末にオープンした施設。オープン前日に出かけて以来なので、初めて入場することとなりました。
「文化交流館でチケットを購入しても、資料館入口が閉まっていては入れないよな。どうするのだろう。チケットを購入したら、係の人がわざわざ資料館入口を開けに行くのかな。もしもそうだとしたら、随分無駄なシステムを採用するものだな。『特別展』と銘打ったものの閑古鳥が鳴いているのかな。」
と、首を捻りつつ、チケットを購入。300円でした。
「資料館の入り口が閉まっているのに、どうやって資料館に入るのですか?」
そう聞こうとしたら、係りの人が、
「すぐそこの階段から地下に降りていただき、案内板に従ってトンネルを通って資料館にお入りください。」
と仰いました。
知りませんでした、文化交流館と資料館が地下道で結ばれていたなんて。
地下道の壁面には、様々な資料が展示されていますが、ほとんど解説がありません。ふ~ん、と思いつつ階段を上がれば資料館・・・と思いきや、何と、まだ拝殿の脇。幔幕があり見通せませんが、どうやら拝殿では祈祷が行われている様子。
拝殿の脇を通って少し進むと、やっと資料館。まるで迷路です。
資料館に入ると、1階は薄暗く、衝立で隔てられた奥に何やら隠してある模様。覗いては失礼にあたるので、そのまま2階へ上がりました。
作品の撮影は、当然できないと思っていたのですが、なんと撮影自由の張り紙が。神田明神、太っ腹~。
本日のブログのトップの写真にも写っている展覧会のチラシも展示されていました。「チラシまで展示するなんて、よほど展示が貧弱なのかな。」
とお思いですか? いえいえ、どうしてどうして。右目だけにスポットを当てているのです。なかなか効果的な演出ではありませんか。最初に「ぎょっ」とさせるなんて。
下の作品は、こうじょう雅之さんの平将門。
こ、怖~。
私の持っている将門のイメージとはまるで違いますが、大迫力ではあります。
将門のライバルたちは、
「将門が怖いよう! そうそう、こんなイメージなんだよ、将門って。悪い奴なんだよ、ひどい奴なんだよ。」
そう思っていたかもしれません。
うん、こちらの方が、私のイメージに近いな。よっ、悲劇のヒーロー、関東武者の誇り、平将門!
将門が大好きなので、彼を滅ぼした藤原秀郷と平貞盛は大っ嫌い。
神像の作者、淺野健一さんの阿吽の面。
ものすごい迫力ですね。
おんや、2階には将門像がありません。3階にあるのかな。
3階に上がりました。ここは常設展示で、神田祭に関する展示などが主。将門像は、ここにもありませんでした。
2階にもう一度戻って、ぐるり一周。将門像、どこに隠れてしまったのか・・・。
あきらめて、1階に降りたところ、私の前を歩いていた二人組が、衝立の向こうを覗いています。
「あっ、覗いてはいけないところを覗くなんて、ルール違反だよな。」
そう思いました。監視カメラをチェックしている係の人がとんでくるに違いない。
とんできませんでした。
なんと、将門さんは、この衝立の奥に控えていたのです。
将門像目当てに特別展に入場したのに、危うく将門像をスルーするところでした。
え~、その奥ゆかしい将門の像ですが、私の撮った写真はありません。
将門像だけは、写真撮影禁止だったのです。
「こりゃあ、一人っきりでここに入ったら、さっさと逃げ出したかもしれないなぁ。」
「本当だね。怒られているみたいだ。」
これは、私の前に将門像を覗いた二人の感想。それくらいのど迫力。
でも、この二人は幸いでした。将門大好きで、決して逃げ出したりはしない私がいたものですから、二人も逃げ出すことなく将門像に相対することができたからです。
将門のライバルたちばかりではなく、当時の朝廷のお偉いさんたちも、将門について、このようなイメージを持っていたことでしょう。震え上がって夜も眠れず、夜眠れないので昼間にこっくりこっくりしたり、目を覚ませばおろおろしたりして、
「誰か何とかしてくれ~」
と、ただただ震えていたに違いありません。
歴史を変えることはできませんが、秀郷も貞盛も余計なことをしたものです。
※ 神田祭公式ブログに、迫力満点の将門像が掲載されています。
帰りがけに、超有名な天野屋ではなく、二番目に有名で、かつ、川越にゆかりのある三河屋綾部商店さんにお寄りし、甘酒をいただいてきました。