そうか、あの「種」も実(じつ)は痩果だったのか!
なぜか消えてしまった本日のブログにもう一度挑戦。
と言っても、たいした内容ではありません。
昨日、イチゴもリンゴも、私たちが美味しく食べる部分は、花托が膨らんだ偽果だ、と申し上げました。
私たちは、壇一雄の小説『火宅の人』ならぬ、「花托の人」、「花托を食べる人」だったのです。御託を並べるようで恐縮ですが。
でも、リンゴの花托は、膨らみながら真果を完全に包み込んで真ん中に閉じ込めるのに対し、イチゴの花托は、真果を表側に載せながら膨らむのですね。同じバラ科なのに。
さらに言えば、モモやウメの可食部分は、正真正銘の真果。
バラかと言えども、実の成り方はバラバラなのです。
(申し上げるまでもないことですが、それで「バラ科」と名付けられたわけではありません。)
次の写真は、タンポポの綿毛です。綿毛の部分にピントが合っているために、不鮮明ですが、白い綿毛の下にぼんやり見えている茶色の物体、これは何でしょうか?
皆さん、もう迷うことなくお答えになると思います。
「一般的には『タンポポの種』って言うけれど、実(じつ)は痩果なんでしょ!」
そうなのです。
とは言え、一面にタンポポの綿毛が広がる野原で、子どもたちがふわふわ飛ぶ綿毛と戯れている所にのこのこ出かけ、
「うわぁ、タンポポの実がいっぱい飛んでいる! そうかだ、そうかだ。」
と叫ぶのは感心いたしません。
楽しそうだった子どもたちと、それをやさしい目で見守っていた親御さんたちが、ドン引きし、そそくさとその場を去っていってしまうに違いないからです。
ですから、
「おお、タンポポの種が飛んでいくねぇ。楽しいねぇ。」
とだけ、大きな声で言い、その後、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、
「それでも、痩果は飛び回っている。」
と、ガリレオ・ガリレイのように呟くだけにいたしましょう。
※ 今、野原を歩くと衣服にくっついてくるセンダングサの種も、実(じつ)は痩果。