検査の後の甘酒三昧
CT検査
今日は、午後から造影剤を入れてのCT検査。
順番が来たのが、2時半頃。予定時刻より15分ほど遅れました。介助が必要な入院患者さんの検査が入ったためと思われます。
造影剤を注射する看護師さんが、「ひっく、ひっく」としゃっくりをしています。
針を刺す瞬間に「ひっく」が来たら大ごとだな、とびくびくしていたのですが、さすがはプロ、針を刺す少し前にしゃっくりが止まりました。
とんだ「どきどき」はあったものの、検査は短時間で無事終了。
結果を伺うのは1週間後。今度は、そちらに、ちょっと「はらはら」。
造影剤を早く体外に出さなければならないため、いつもより水分を多く摂る必要があります。
さっそく、水とお茶を飲みました。
検査のため、お昼を控えていたので、お腹が空いています。
さて、何を食べようかな?
そうだ 神田明神 行こう
精算を済ませれば、もう午後3時です。あまりがっちり食べると、夕食に響きそう。
そうだ、そうだ、甘酒も水分ではないですか。神田明神に行って、まずは、甘酒でもいただきますか。
今日は強い北風なので、銀杏並木も、ずいぶん葉を落としました。
それでも、湯島聖堂側の銀杏並木には、まだ、ずいぶん葉が残っていてきれいです。
遠くにニコライ堂が見えます。
夕暮れが近い上に寒いので、参拝客はあまり多くありません。
仕事始めの「願掛け参拝」の大混雑とはえらい違いです。
甘酒と言えば、何と言っても天野屋さん。一番人気の店です。
神社の参道に面した側は、お土産を売っています。
こちらが喫茶コーナーへの入り口。どちら側でも狸がお出迎え。
ちなみに、喫茶コーナーの西脇は、旧中山道だそうです。
天野屋さんへ
天野屋さんに入って、甘酒を注文しました。
天野屋さんは、料金前払い制です。
甘い甘い甘酒でした。小さな沢庵漬けが二切れ付いてきました。
甘酒だけのつもりが、空腹がわらび餅を呼び寄せてしまいました。
甘酒とわらび餅で、900円でした。
座った席から見えた「中庭」(?)。手前にも蛙の置物が見えますが、つくばいにも、子蛙がいっぱい。
神田明神へ
「お参りするのが先だろう!」
ごもっとも 様でございます。
でも、空腹にはかなわなかったんでございますよ、お奉行さま。
随神門も立派。
もちろん、拝殿も立派。
祭神は、一ノ宮に大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の3柱。
三ノ宮の平将門は、親族間の諍いが続くなかで、争う相手が国司にまで拡大してしまい、西暦939年に、常陸国府を襲うに至ります。その際、武蔵権守だった興世王に、
「国府を襲っちゃったんだから、都に楯突いたのと同じ。こうなったら、いっそのこと独立しちゃえば。」
とそそのかされ、新たな政権を立上げるべく「新皇」を称したとされています。
ただ、十分な政権構想が無かったこともあり、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に敗れ去ってしまいました。
私は、高校生の頃に、海音寺潮五郎の『平将門』を読みました。『平将門』は、海音寺さんの将門愛が溢れに溢れていて、将門を、不器用だけれど、真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐな気性の男として描いています。
それに対し、貞盛は、立ち回りがうまく、女性にもモテる、ちょっと軽薄なタイプ、秀郷は、頭は良いけれど、何を考えているかよく分からない策士的人物として描いています。
そんなわけで、私も、要領が悪くて苦労続きの将門がかわいそうで、かわいそうでならず、彼への感情移入が半端ではなく、今までずっと「将門、大好き!」なのです。
阪神や浦和レッズが好きなのも、両チームとも、いまいち要領がよくないところが将門とオーバーラップするからかもしれません。ということは、貞盛が巨人で、秀郷が鹿島でしょうか? 何てこと言ってると、両チームのファンに怒られてしまいます。
将門や神田明神の話に戻りましょう。
将門が神田明神の祭神なのは、大手町に「将門首塚」があり、これを移そうとすると祟りがあると言われているように、元々は、怨霊を鎮めるために神として祀ったことによるものです。
そうではあるのですが、中央に敢然と挑んだところが、坂東の人間には受けたようで、坂東での将門人気は大変なものだったようです。将門の本拠である茨城から少し離れた埼玉にも、将門伝説が残っています。
ところが、明治新政府になって、「天皇に弓引いた人物を神として祀るとは何ごとぞ。」ということになり、祭神の地位を追われてしまいます。祭神に復帰したのは、太平洋戦争が終わった後のことですま。
三河屋さんへ
境内に、EDOCCO 神田明神文化交流館が建設中でしたが、完成していました。
中を見学しようと思ったのですが、明日オープンとの表示があって入れませんでした。、今日は、関係者への内覧会だったようです。
EDOCCO 神田明神文化交流館には、そのうち来るとして、甘酒屋さんのはしごをすることに。
三河屋さんです。
「すでに甘酒を飲んでいるのに、なんと物好きな。」
とお思いでしょうが、このお店は、川越の旧家の親戚なので、川越っ子としては寄らずに帰るわけにはまいりません。
本日二杯めの甘酒。
三河屋さんの甘酒には、しょうがの粉が付いてきます。
まずは、熱々の甘酒を飲んで味わってから、しょうがの粉を少々ふりかけ、掻き回すことなく、しょうがの香りを楽しみながら飲むのだそうです。
天野屋さんの甘酒と三河屋さんの甘酒、同じ甘酒ながら、かなり味が違います。私は、それを評価する舌も文才もありませんので、どう違うのかを説明するのは勘弁してください。
天野屋さんのわらび餅だけではお腹が満足しなかったので、三河屋さんでは磯辺焼きをいただきました。本当は3枚だったのですが、写真を撮る前に、1枚食べてしまいました。
※ 「磯辺焼き」を、「あべかわ」と書いてしまいました。
修正済み。おお恥ずかし。
三河屋さんは、料金後払い制。こちらも、900円でした。
前払い制の天野屋さんの後、三河屋さんに入ると、料金を前払いした気になって、そのまま帰ってしまいそうになったりして・・・
神田明神を後にし(三河屋さんには、ちゃんとお代を支払いましたよ。)、御茶ノ水駅方面に戻ると、北風が、木の葉を高く髙く舞い上げつつ、
「さあ、年末だぞ~、はよ年賀状を書かんかい!」
と言っているような気がしました。
今年は、「なんでもぎりぎりのこやんぴ」には珍しく、すでに文面作成が終わっています。どういう風の吹き回しでしょうか?
とは言え、油断大敵。この後の作業も、北風さんの警告を肝に銘じ、「結局はぎりぎり」とならないように進めていかなければなりますまい。