鎌倉、江ノ島、そして熱海(11月11日)
腰越へ
華やかめの仏花をアレンジしてもらい、江ノ電乗り場に急ぎます。
日曜日の江ノ電乗り場は、相変わらずの大混雑。列車の到着を待つ人々の顔は、ランチやハイキング、寺社巡りに対する期待で、一様に輝いています。
列車が到着すると、ホームにあれほど溢れていた人々が、あっという間に車内に吸い込まれ、それでも車内にはまだ余裕があるのですから、鉄道って、本当に「大量輸送機関」なんですね。バスだったら、こうはいきません。
予想どおり、江ノ島駅で多くの客が降り、車内はかなり空いてきました。江ノ電は、ここから、道路上を走ったり、民家すれすれを通過したりするわくわく区間。私は、そのわくわく区間が始まったばかりの腰越駅で下車しました。最初からの予定どおりです。江ノ島駅とは異なり、ここで降りたのは数人のみでした。
その「数人」の中にゼミ仲間2人がいて、これで一挙に3人が合流完了。後は、鎌倉方面から来るもう1人が到着すれば全員集合。
ほどなく、一番家の近い「もう1人」が到着。駅近くのお寺へと向かいます。
この寺に眠る友人が、突然この世を去ったのは数年前のこと。
恒例の飲み会で飲み、かつ語って、手を振って別れた数日後に、心筋梗塞の発作が彼の命を奪ったのです。
彼の墓は、高台にあります。江の島を、富士山を、そして青い海を、彼は、今、毎日眺めているのです。
この日は暖かすぎて、視界は不良。富士山を望むことはできませんでした。
江ノ島駅近くをうろうろ
腰越の友人に再開を約して、我々は、江ノ島駅方面へ歩きました。
「2年前は、ここで食べたね。」
「親父さんがやけに自慢していたけれど、それほど感心しなかったけね。」
「去年食べたあの店は美味しかったよ。」
「でも、違う店で食べたいな。」
会話が食べることだけというのは情けのない話。
江ノ島駅から江ノ島方面へと歩む観光客の群れの中に入り込んで、あちらをきょろきょろ、こちらをきょろきょろ。
海岸通りに出てしまいました。
事前に調べていないので、こういうことになるのですが、このメンバーでは当たり前。誰もまるで気にしておりません。結局、先ほど、ちらっと見かけたイタリア料理店に入ることに。
これが大当たりで、美味しいお店でした。PICO江ノ島店。
我々はパスタを選択しましたが、PICOはピッザも美味しいらしいですね。
江ノ島駅に戻り、藤沢行きの列車を待つ間に、待合室を覗きました。
古い車両の運転席がカットされて置いてありました。乗務員席には鍵がかかっており、入ることができません。隣には、鉄道系の高校の生徒さんが作ったジオラマが。
戦前の江ノ電には、3等車(現在の普通車)の他に、1等車があったんですね。ただし、一つの車両全部が1等車ではなく、一部分だけが仕切られて1等車扱いだったようですが。2等車が無かったというのが面白い。
これには笑いました。
駅員さんが花をつくっている一角。いわゆるミニガーデンですが、江ノ電らしく「ガー電」。
ここで、メンバーの一人が有料アプリを披露。
花の写真を撮ると、その花の名前を教えてくれるという優れもの・・・のはずでしたが、写真をパチリ!
「なんとかかんとか」
ぜんぜん違います。
「あれぇ、へんだなぁ。」
他の花をパチリ。
「なんとかかんとか」
まるで違います。
「有料だったのに、使えないね、これ。」
実にお気の毒。
まさか、サルビアは間違えまい、そう思ったのですが、有料アプリの答えは、
「ポインセチア」
笑っちゃいました。これは使えません。
熱海に到着!
熱海駅は、帰宅客と本日の泊り客で結構混んでいました。
有料アプリが言うことを聞いてくれず落ち込んでいた友人は、「間瀬」という和菓子屋さんの大ファンで、
「どうしても、蜜柑大福を買いたい。」
と言います。
そこで、わざわざ駅ビルに入り、そのお店に寄ったところ、すでに売り切れ。「お花の名前のことならお任せください高額アプリ」(私、本当の名前は知りません。)同様、空振りです。
「明日は、あのその、明日なら、明日の午前中ならありますか?」
焦りに焦って問い詰めるように聞く友人に、お店の方は、気圧された風で、
「あ、あるんじゃないですか、午前中なら。」
と、仰け反って答えるのがやっとでした。
蜜柑大福が入手できず傷心気味の友人を慰める、という訳でもありませんが、そのお店がやっている和風喫茶へ。私以外はどら焼き、私は豆寒を食べながら、蜜柑大福命の友人による「蜜柑大福がいかにおいしいか」の講義をお伺いしたのでした。
宿の前庭には、ツワブキの花が。
葉がサツキの植込みの中に埋もれている個体も。そんな状況では炭酸同化作用に支障があるでしょうに、よくも花を咲かせたものです。ちょっと驚きました。
ブタナも、川越と同様、季節外れの花を咲かせていました。
ブタナの綿毛は、タンポポほど稠密ではないのですね。
昼間は良い天気でしたが、どんどん天気が悪くなってきて、大島は見えず、初島も霞んでいました。海の色の微妙な変化が何とも言えず美しい。
どんどん雨雲が厚くなってきました。天気予報でも、12日は雨。
夜は、銚子川(三重県)の清流を紹介するテレビに、全員釘付け。河口付近まで透きとおった水の流れる川は、日本では、もうここだけとか。
伏流水に住む横エビ、それを食べると思われるハゼの仲間、汽水域の真水と海水の分離状況など、初めて知ることばかりでした。
番組最後の「日本国中の川が、昔は、皆、銚子川のように澄んでいたのです。」といった趣旨のナレーションには、便利さの代償に支払ったものの大きさに、一同唸るばかりでした。
唸って、その後、どうしたかというと、布団をかぶって寝てしまいました。
若い頃は、遅くまで飲んで語りあった私たちですが、今では、こんな体たらくです。