カラスウリにも遅速あり。こやんぴは遅遅ありて・・・
子どもの頃、熟したカラスウリでままごと遊びをしたことがあります。
「ただいまぁ。今、帰ったよ。」
お父さん気分で、家に帰ります。
本家の広い中庭に敷いたゴザが、玄関であり、茶の間でもあります。
近所の女の子がお母さん役、私の弟と妹が子ども役です。
すでに、何かの箱をちゃぶ台に見立てて、その周りに3人がちょこんと座っております。
「お帰りなさい。夕飯の支度が出来ていますよ。」
「おかずはなぁに?」
こやんぴ、お父さん役なのに、食べることとなると、役割を忘れて子どもに戻ってしまい、せっかくのままごと遊びが台無しです。
大根役者のこやんぴとは異なり、お母さん役は真剣です。
「美味しい納豆ですよ。さあ、召し上がれ。」
朱色のカラスウリをぱっくり割ると、中から、本当に納豆そっくりの種が出てくるのです。それをおいしそうに食べるふりをして、和気あいあい。
なつかしいな、何でもかんでもが実にの~んびりしていたあの頃。
今年は、まだまだ、カラスウリの花を見ることができます。でも、早くに花を咲かせたカラスウリの実は、赤くはなっていないかもしれませんが、少しは膨らみだしているのではないか、そう思っておりました。
《 花柄をつけた実の赤ちゃんもありましたが、かなり膨らんだ実も。 》
《 熟する前は、とっても小さな小玉スイカといった感じ。「小さい」ということには眼をつぶると、富山名産「入善ジャンボ西瓜」と言えなくもない・・・えっ、言えない? 言いましょうよ。 》
《 下の方から色づいてくるんですね。知らなかった。それと、縞々の白い部分が先に色づくんですね。初めて知りました。 》
《 おっ、もう少しで、ままごと遊びに使えそうです。 》
早く熟した実もあれば、これから花を開く蕾もあります。人間も、出世だとか何だとかで、早い、遅いはつきもの。
遅かろうが、早かろうが、カラスウリのように、強い風に吹かれても超然としていたいものですね。
「おや、こやんぴ、今夜はばかにもっともらしいことを言うねぇ。あんたの半生、超然としていたの? 反省ばかりだったんじゃないの?」
超然としているわけないじゃぁないですか。
こやんぴは、幼稚園時代、スキップが「ゆり組」でただ一人できませんでした。みんなに紛れてスキップしている分には目立たないのですが、我が幼稚園では、全員が輪になって座り、一人ずつ立ち上がって、一同の周りをスキップしながら回るというゲームがあったのです。
こやんぴは、「真っ赤なお鼻のトナカイさん」も裸足で逃げ出すくらい、いつもみんなの笑いもの。サンタのおじさんも、「赤っ恥のこやんぴさん」を助けには来てくれませんでした。暗い夜道に「赤っ恥」は何の役にもたたないからです。
これでは、超然としてなどおられません。
(さすがに、よほど恥ずかしかったとみえて、こやんぴ、秘密練習を重ねたのであります。その結果、スキップはできるようになっております。)
小学校時代には、大縄跳びの輪に入れず、入ろうとすれば100回のうち100回は縄が足や肩に引っ掛かり、長く縄跳びを続けたいみんなからはブーイングを浴びておりました。その結果、こやんぴは、みんなの根回しにより「縄回しの専門家」に大出世を遂げ、輪に入ることを免除されたのでありました。ああ、めでたくない、情けない。
(もっと情けないことには、その後試したことはないのですが、多分、今でも跳べないような気が・・・。なにせ、「縄回し」に特化して(本当は、みんなから特化させられて)しまったので、練習の機会がなかったものですから。)
そういう訳で、「強い風に吹かれても超然としていたいものですね」と述べたのは、不遜にも高い立場に立って申し上げたものでは決してなく、崖の下から微かに聞こえてくる頼りなさそうな願望の叫びみたいなものです。