六日町から塩沢へ、そして越後湯沢
いざ塩沢へ。道が狭く焦るこやんぴ。
宿を午後1時過ぎに出発し、ナビに任せて塩沢へ。
えっ? 左折?
妻の言うことには時々「いやいや」をするこやんぴですが、ナビの言うことは素直に聞く傾向があります。
おかしいな、とは思いましたが、指示どおりに左へ。
狭い道です。でも、景色はきれい。
車の中から、妻に、お別れする八海山の写真を撮ってもらいました。
道はますます狭くなります。対向車が来たらお手上げ。来るな、対向車。
えっ? トンネル? しかも、車一台がやっと通れる狭いトンネル。
幸い、対向車には出会うことなく、トンネルを通過。
「さっきのトンネルの写真、撮っておけばよかったね。」
妻が言います。ごもっとも。でも、そんな余裕なかったなぁ。
「今度来たときに撮ろうか?」
「もう、この道通りたくない。」
これまたごもっとも。
やっと広い道に出て、ほっと一息。
越後平野は、田植えの真っ最中。南魚沼のお米のうまさには定評があるところ。ブランドとして確立するまでは我々の知らない苦労もあったと思いますが、それにしてもうらやましい。我が村のお米もかなり美味しいんですけれどね、無名です。
信号で停車するたびに、トノサマガエルかトウキョウダルマガエルなのか、蛙たちが、
「水が入って嬉しいよ。」
と歌う声が聞こえます。
塩沢つむぎ記念館の熱き人
ナビの指示どおりに、無事、塩沢つむぎ記念館に到着しました。
入館した途端に、館のお父さんが、
「どこから来られた?」
と聞いてきます。
「川越です。」
と答えると、
「ああ、川越! 川越唐桟だね。」
さすが、よくご存じで。マイナーなのにね。
「川越の※※※(呉服屋さんの名前)から仕入れてきた川越唐桟があるけれど、見る?」
見たい、見たい。
おお、すばらしい品。とても買えないけれど、川越唐桟を評価してくれて、とてもうれしい。
塩沢紬だけではなく、日本国中の産地の反物を仕入れ、お互い協力しながら和服文化を守っていきたいんだ、そう熱く語るお父さん。
塩沢紬にしろ、越後上布にしろ、すばらしい品ばかり。
申し訳ないけれど、妻に和服の生地を使ったペンダントを購入しただけ。
お父さんお奨めの牧之通りに向かいます。
牧之通りへ
妻が大きな声で尋ねます。
「まきのどおりって何なの?」
「あっ、しいっ! 『ぼくしどおり』って読むんだよ。」
傍にいた地元の人に聞かれてしまいました。
後ろ向きで作業をされていましたが、肩が揺れています。
牧之は鈴木牧之のこと。江戸時代に、雪についての大著『北越雪譜』を書いた人。私は、岩波文庫に入っているその本を知ってはいましたが、読んだことはありません。また、越後の人だとは知っていましたが、塩沢の人とは知りませんでした。
牧之通りに向かう途中の織物工場など。塩沢紬の盛んだった頃の面影を留める重厚な建物がちらほらと。
牧之通りに出ました。
想像していたのは、狭い道に面した古い建物が連なる通り。
案に相違して、広い、広すぎるくらい広い道路と、その両脇に連なるファサードのきれいな家々。
雁木まであるではないですか。
下の写真は、地元の信用組合の建物。重厚です。
こちらは郵便局。
雰囲気が、なんとなく、お伊勢さんのおはらい通りに似ていますね。
鈴木牧之の生れた家という表示がありました。
中に入ると、お酒と釣り道具を扱っていらっしゃいました。
日本酒を2本購入し、おかみさんにいろいろ伺うと、道路拡幅の話しがあったときに、拡幅しないで古い町並みを残すか、拡幅して今風の商店街に帰るか、拡幅はするが昔の越後の風情を再現するかで、ずいぶん検討に時間がかかったそうです。
全国のすてきな町並みを残す地域を参考にしながら、『北越雪譜』を記した鈴木牧之の生誕地らしい町並みを再現する道を選んだのだそうです。
おかみさんによると、古い家を壊すのには抵抗があったけれど、結局はこの道を選んだとのことでした。新しい家ですが、古い家の大欅の梁が再利用されていました。チョンナ削りの素晴らしい大木でした。
下の写真が、鈴木牧之の生家(跡)。
至る所に、鈴木牧之に関する一口メモが掲げられています。
こんな表示も。昭和52年には、たった一日でこんなに雪が積もったんですね。
鎌を背負ったカマキリが、もっと上を見たらどうだと「かまをかけて」きます。
こんなに降られてしまっては、
「雪ってロマンチックね。」
なんて言っておられません。
牧之の眠る長恩寺。紬で栄えた土地だけに、立派。
山門の2階には、大きな鐘がありました。鐘楼門としての機能も併せ持っているようですね。
大銀杏がありましたが、並みのイチョウではありませんでした。
雌の木で、銀杏(ぎんなん)がなるのですが、ただの銀杏ではないとのこと。
逆光に映える銀杏の若葉。美しい!
何が普通の銀杏と違うのかというと・・・
ちょっと見にくいのですが、解説版をご覧あれ。
ハナイカダみたいに、葉の上に実がなるのだそうです。実物を見てみたいですね。
本堂も壮大。
蔵は一部漆喰が剥がれていましたが、彫刻の精緻さには驚かされます。
牧之通りに戻り、天井の高い喫茶店に入りました。
ブックカフェで、様々な分野の本が並べられていました。
本を読みながら長居ができそうです。
鈴木牧之の『北越雪譜』も、当然ラインナップ。
お菓子もおいしかったですよ。
再びのつむぎ記念館、そして越後湯沢
車を置かせていただいたお礼を述べにつむぎ記念館に顔を出すと、
「まあまあ、お茶でも飲んでいきなさい。」
お茶を飲みながら、郷土への愛を語るお父さん。
川越市の町づくりも参考にさせてもらったとおっしゃっていました。
私たち夫婦は、牧之通りの試みが成功することを、心の底から祈ったものです。
飲ませていただいた健康茶と、柚餅子などのお菓子を少々購入して店を出ました。
そうしたら、記念館の方が3人も出てこられて、丁重なお見送り。
まるで百万円以上お買い上げのセレブ並みのご対応。
恐縮しつつ、店を後にしました。
越後湯沢の駅前のお蕎麦屋さんで、少し早目の夕食をいただき、帰宅する算段で、車は一路越後湯沢へ。
途中に、へぎそばの店が何軒かありましたが、スルーして駅前へ。
残念、定休日でした。
もう帰らなければならない時間です。塩沢方面に戻って、へぎそばをいただくという選択肢もなくはなかったのですが、高速に乗り帰宅することとなりました。
下の写真は、駅前から見える山。真ん中よりやや右側の山の斜面がつるつるした岩であることが分かりますでしょうか。分からないかな。
それでは拡大して、もう一つ下の写真でご確認ください。
飯士山(いいじさん)という名の山です。岩原スキー場から登っていって、山頂を過ぎるとこの岩場が待っています。負欠岩という一枚岩。
私は、このコースを、最初は登り、二回目は下りで体験しましたが、なかなかのスリルを味わうことができます。怖いくらいです。
いい爺さんになった今となっては、飯土山(いいじさん)に登るのはどうか、とは思うのですが、負欠岩の魅力は捨てがたく、あと何回かは登りたい山です。
これで、六日町に宿泊した旅の回は終了です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。