「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ

お散歩大好きの「こやんぴ」が、ふと出会った植物や動物たちについて思いつくままに記していきます。

六日町を堪能(昼食前編)

八海山がどどど~んと

 

 程よい量の朝食をいただきました。

 周りのお客さんを見渡したところ、どうも、私たち夫婦が最年少の様子。

 お一人様がお二人、ご夫婦連れが5~6組、小グループが1組でした。

 小グループは早立ちでしたが、他の方は、連泊か昼食付きのプランらしく、のんびりと過ごしていらっしゃいます。

 

 私たちも、お昼のお蕎麦付きプランでお願いをしておりました。チェックアウトは午後1時でよいとのこと。随分のんびりできます。

 

 朝8時から10時まではお風呂の清掃があるため、私たち二人は、周辺散策に向かいました。

 太陽は八海山の向こうから昇ったので、名山はシルエットでしかありませんでした。

 陽が高くなって、同山がまだまだ雪深いことが分かりました。

 終わりかけでしたが、菜の花との対比がとても美しかったですよ。
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花めぐり散歩、初っ端から迷いに迷って


 さて、前日から気がついていたのですが、これ、キュウリグサでいいのでしょうか?

 自信がないのは、色の鮮やかさが、私の地元のキュウリグサとは比べ物にならないから。そして、花がちょっと大きい。とは言え、園芸種の忘れな草よりはずっと小さい・・・迷いますねぇ。
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 天ぷらとなる運命から免れたフキノトウは、すでに花の時期を過ぎ、めでたく種たちを飛ばす段階にまで進んでいました。棚田となっているので、畔の斜面にびっしりと蕗が生えていました。

 食材としてのフキノトウにしか関心のない人は、これをタンポポのお化けと思ったりして・・・
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 コウゾリナは、私の地元では、もう花の時期も終わりに近づいているのですが、六日町では、まだ蕾。それにしても、蕾がやけに黒々としていますね。
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レンゲツツジは馬躑躅

 

 レンゲツツジがもう満開。私がユースホステルを渡り歩いていた青春時代には「6月の花」、高原では「7月初めの花」というイメージだったのですが、開花が随分早くなっていますね。

 

 母の話(遠い昔のことです。)では、レンゲツツジは当地でも、あちらこちらに咲いていたそうです。あまりにもありふれたツツジなので、「馬躑躅」と呼ばれ、誰も見向きもしなかったとのこと。

 

 なぜ「馬」なのか、なぜ「馬」だと価値が低いのか、という肝心要のことは聞き漏らしましてしまいました。

 

 ちなみに、葉にも花にも毒があるので、牧草地に生えていても、牛などの草食動物は、「ふん! こんなもん。」と言って(?)食べません。ですから、清里などの牧草地にはいっぱい生育していると聞いたことがあります。

 

 ということは、大切な動物だった馬をばかにしているのではなく、馬に見放された気の毒な(たしかに毒なんですけれどね。)、あるいは、哀れな躑躅ということなのでしょうか。

 

 今ウィキペディアで調べたところ、「ベコツツジ」という地方もあるようです。どうやら、牛も馬も、毒なので食べない。それで、「ウマツツジ」、「ベコツツジ」というらしいのです。

 

 でも、この命名方法だと、馬や牛が喜んで食べるツツジ、彼ら、彼女らが激賞してやまないツツジと解釈されてしまう気がするのは、まだまだ理屈っぽいところのあるこやんぴだけなのでしょうか?

 

 「『ウマゴヤシ』は、『馬が肥える草』っていう意味なんでしょ。それとの対比でおかしいじゃないの? 馬が食べないツツジなら、『ウマ』と『ツツジ』の間に適当な語句を入れるべきなんじゃないの?」

 

 ほんと、理屈っぽい。
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「馬」と「躑躅」の間に「食わず」を入れたりしたら、「馬のような大きな動物までは食べないけれど、人ぐらいなら一口で呑み込んでしまうお化け躑躅」と誤解されかねません。

 間に文字を入れることを考えるのは時間の無駄。花の美しさに酔いしれればいいのです。

 

見落としそうな花たち

 

 変わった葉っぱのスミレ?

 よく見ると、周辺の葉はホタルブクロのもののようです。

 スミレだと思うのですが、小さな葉が一枚しかないこともあって、断定する自信がありません。なにせ、スミレの仲間はわんさかありますので。
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 チゴユリ。俯いて咲く奥ゆかしい花。

 この花は、受粉も終わり上を向き始めている段階のようです。
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 背丈が低いので、昔のカメラだったら撮るのが大変。モニターが可動式だと助かります。
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 下の写真1枚だけは、六日町初日の曇り空の時に撮影したもの。

 この写真を撮った頃から、再び雨がポツリ、ポツリと。

 早々と退散したのは正解でした。その後、篠突く雨に。
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 受粉のお手伝いをする昆虫さんは、どなた?
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お松の池を巡る

 

 宿近くにある池。「お松の池」。

 「にいがた観光ナビ」によると、次のとおり悲しい伝承の残る池。省エネで恐れ入りますが、引用でご紹介いたします。

 

 遠方の温かい地より嫁いで来たお松は、姑から雪国の手仕事・機織の手ほどきを受けていた。機が織れて一人前とされた当時のこと、姑は機織に不慣れな嫁を早く一人前の機織にしたいと日々厳しく指導した。

 

 お松は慣れぬ機織に努力を重ねたがなかなか上達せず、次第に気落ちしていった。

 『いつまでたっても不出来で、一所懸命教えてくれるおっかさまに申し訳ない…この一枚を織り上げたらお暇を頂こう。』そう思い定めたお松は最後の仕事に取りかかり、命を削るようにしてとうとう渾身の一枚を織り上げた。

 

 こうして織られた一枚はかつて無い見事な出来栄えで、大変な高値で引き取られた。姑はようやく素晴らしい織り手となった嫁を褒めようとしたが、その時既にお松は小栗山の上にある池に身を投げて命を絶ってしまった後だった。姑はこれを悔い悲しんで涙した。

 

 引用は以上です。

 

 姑は、「厳しいけれど、いい人」的な描かれかたですが、ひねくれもののこやんぴは 

「婆ちゃんは、もしかしたら本当に意地悪で、嫁をいびりにいびったんじゃねえの?」

などと勘ぐってしまいます。

 

「お松さんが身を投げてしまった後に、嫁いびりがばれないよう、美談に仕立て上げたんじゃねえの。」

 疑り深いですねえ、こやんぴは。

 

 昔は、実家から嫁ぎ先に籍を移したら、どんなにいびられても帰る場所はありませんでした。時は移り、21世紀の日本では、若い人がしっかりと自己主張するようになりました、しすぎるぐらいに。

 その結果、昔の栄光や今いずこ? 舅、姑が小さくなっていたり、遠慮したりする時代になったようです。

 

 実際、宿で、私たちより先輩の「ばあば」二人が、

「嫁に不満がいっぱいあるけれど、我慢しているんだ。」

と語り合っていました。語り合うことで、少しは気が晴れるのでしょうね、きっと。

 

 しつこいかもしれませんが、現地にあった案内板を写真でご紹介。

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 池のくせに、と言ってはお松の池に申し訳ないところですが、なんと島が二つもあるのです。北側に弁天島、南側に戸隠島。

 

 下の写真は、弁天島へと渡る橋。車止めを赤く塗ったものが欄干なのはやや興ざめの感がありますが・・・。

 島には、名前の由来となった弁天様の小さなお社があります。

 それだけではなく、写真の掲載は遠慮しておきますが、杉の切り株の洞の中に「りっぱな金精さま」が鎮座なさっていました。
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 苔も、こんもりとしていて美しい。
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 あちらの島が戸隠島。戸隠神社が祀られているのでしょうね。
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 雨上がりなので、新緑が一層鮮やか。

 眩いほど。
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 釣り師が、のんびりと糸を垂れています。
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 湖畔の宿の庭には、トキワイカリソウが。

 敷地内に入るのを遠慮して、望遠側で撮影しました。日本海側には、このイカリソウが多いようです。よく行く富山にもたくさん生えています。
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 ピントが合っていないのに、「これ何でしょう?」とお聞きするのは反則ですね。

 サンショウです。角が二つなので雌花、かな?
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 静かで、散策にはもってこいの場所でした。

 

 池には外来魚がたくさんいるようです。

「釣りあげたら、絶対にリリースしないで。」との看板がありました。

 外来魚を、釣の醍醐味を味わうためにリリースするのはNGですよね。生態系が崩れてしまいますから。
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キュウリグサ問題、混迷するこやんぴ

 

 先ほど、六日町で出会ったキュウリグサの「青」が濃い、少し大きい、とご紹介しましたが、ぐらついてきました。お松の池近くに、ワスレナグサ忘れな草)がたくさん咲いていたからです。青い花の株と白い花の株がたくさん。

 

 もちろん、ワスレナグサと、「多分キュウリグサ」とでは、花の大きさが全然違います。でも、宿近くの野に自生するものがキュウリグサなのか、他の種なのか、自信がぐらぐら揺れて崩れ落ちてしまいそう。

 

 f1(一代雑種)のパンジーの子どもが、小さなパンジーになってしまうように、もしかしたら、「多分キュウリグサ」は、f1であるワスレナグサの子どもたち、孫たちなのかでしょうか?


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 上の写真の忘れな草は、構図がひどすぎ。はずかしい!


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 こちら(上の写真)も、自慢できる構図ではありませんでした。おお、はずかし。

 

 「多分キュウリグサ問題」で困惑しつつも、なぜか、このタンポポに気品を感じてしまったこやんぴなのでした。
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 水路上に咲く「多分キュウリグサ」。

 水の流れがきらきらと。

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 これはナデシコ科の園芸種ですね。

 名前は知りません。フクロナデシコ
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 ニガナ。苦い菜という意味ですが、ナノハナの仲間ではありません。見た目どおり、キク科の植物です。食用にする植物を広く「菜」と言うようですね。

 ちなみに、苦菜(ニガナ)はキク科、甘菜(アマナ)はユリ科。おもしろいなぁ。 
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 白トビ気味なのに補正をしていないので、見にくくて恐れ入ります。

 小さな小さなスミレ、ツボスミレです。茎は長めなのですが、立ち上がらず這って伸びるので、余計目立ちません。

 

 白いスミレですが、紫のお化粧を施しているところがかわいらしいでしょ?

 以前、川越のツボスミレをご紹介しております。
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 これは、ノジスミレでしょうか?

 スミレよりもずっと背高ノッポさんです。
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 まさにヴァイオレット。濃紫。
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 宿周辺の散歩を終え、宿に帰って一風呂浴びて・・・は、また今度。

 

 え、また? とあきれられてしまいそうですが、明日と明後日は、蓼科に行ってまいります。学校のゼミ仲間と4人の旅です。どうも天気が悪そうなのが残念なところです。