高校時代のこと その2 琵琶湖の水を1センチ
U先生を「化学」する
高校の化学のU先生は、日本史のS先生ほどではありませんが、17、8歳の生徒からみれば「おじいちゃん」でした。
私のクラスは、文系、理系の文系の方に属していました。当時は、理系の人気が文系を上回っていましたので、数学や物理、化学が得意な生徒の多くは理系のクラスに属しており、しかも、とても優秀でした。
我がクラスはというと、お察しのとおり、一部の例外を除いて、理数系の科目があまり得意でない、あるいは、まったく苦手、でも、文系科目も得意とはとても言えないという者の集まりでした。
したがって、U先生が難しいお話をされても、理系のクラスとは異なり、反応は惨めなほど鈍かったと思います。
先生から答えを求められても、
「分かりませ~ん。」
「僕もできませ~ん。」
「・・・・・・。」
先生にとって、さぞかし、やりにくいクラスだったと思います。
でも、U先生は旧家の生まれ、とても育ちの良い方なので、いつもニコニコしていて、
「お前ら、いい加減にしろよな。」
などとは一度も仰りませんでした。
十八番(おはこ)の始まり、始まり
あまりにもノリの悪い私たちにあきれると、U先生は、頭の先から抜けるような高い声で、
「それじゃあ、これから、琵琶湖の水位を1センチあげるためには、水の分子が何個必要か、計算してみましょう。」
と仰り、
「まずは、琵琶湖の面積がこれこれ、そして、水の分子の大きさはあれこれ・・・」
などと呟きつつ、黒板に計算を始められるのでした。
生徒たちは、
「あ、また先生の十八番が始まった。」
と、ノートを閉じ、鉛筆も手放して、黒板に次から次へと書き加えられる計算式を、まったく知らない外国語を眺めるように、ぼ~っと眺めつつ、
「これで、この時間は、休憩時間になったようなものだな。ラッキー。」
と、一息入れたものでした。
まじめな一部生徒は、一生懸命、ノートを取りながらU先生のお話を聴いているのですが、我々落ちこぼれ組からすれば、
「おいおい、そこまでやるか。」
です。だって、このお話、もう2,3回目なんですもの。
先生の授業時間管理は極めて精密です。琵琶湖の水位を1センチ上げるのに必要な水の分子量が解き明かされるのは、授業終了のチャイムが鳴るのと同時。NHKの報道番組より正確です。
燃料を使わずにお風呂を沸かす?
また、ある時は、U先生、一層甲高い声で、
「お風呂の水を燃料を使わないで沸かすためには、どのように掻き回し、どれだけの時間をかければよいかを計算してみましょう。」
と仰り、琵琶湖の時と同じように黒板に向かわれます。
こちらの計算については、さすがにできの悪い私たちでも、
「琵琶湖問題は、まあ、分からないでもない。だけど、掻き回している最中に、例え、水分子同士がぶつかり合い摩擦熱が生じたとしても、外気温の影響を受けるはず。湧くわけないぜ。」
ということは分かります。
でも、誰も、
「先生、外気温の影響も考慮すべきだと思います。」
などと、優等生的質問などいたしません。
もし、そんな質問をしようものなら、U先生は、我々が琵琶湖問題やお風呂問題に、並々ならぬ興味を示したと勘違いされ、
「いい質問ですね。このクラスは素晴らしい! それじゃあ、次回の授業で、その点を考慮して計算してみましょう。」
ということになってしまい、挙句の果てには、中間テストや期末テストに、この問題が出題されかねません。
それは困ります。我がクラスが
「化学で赤点を取った生徒だらけ」
となって、担任のN先生が青くなってしまいます。
なにせ多くの生徒は、ノートもとらずに「うわのそら」で聴いているか、まったく聴いていないかの何れかですから、そんな計算、できるわけありません。
U先生の優雅なリラックス
そんな形で、私たちをリラックスさせてくれたU先生、実はご自分でも、空き時間には随分とリラックスされていました。
私の通っていた高校には、私が1年生の時に、日本水連公認の50メートルプールが完成しました。U先生は、空き時間になると、そそくさとプールに赴き、誰一人いないプールで思いのままに泳ぎ続けていたのです。真冬を除いて、いつも。
今の世の中だったら、校長先生から厳重注意を受けたかもしれませんが、あの頃は、そんなこともなく・・・
いい時代でしたねぇ、U先生。
空き時間が2時間以上あると、驚いたことに、その空き時間中、休まず、ず~っとスローなクロールで泳ぎ続けているんですよ。驚異の体力です。
あまりにもスローなブギのようなクロールなので、
「U先生、おぼれているんじゃないか?」
と本気で心配する優しい生徒もおりました。
今から考えると、泳ぎながらも、U先生、
「クロール一掻きで、水面から上に跳ね上がる水の分子量は・・・」
などと計算されていたのかもしれません。
それを2階からちょくちょく眺めていた我々も、かなりの暇人だったのは間違いありません。