こやんぴの小学校生活 その1 その差って何ですか?
今日は診察日です。
点滴を受けながら綴っております。
小学校1年、2年の担任はY先生でした。「おいた」をした児童を睨む時の先生は怖かったけれど、普段は若くて優しい美人先生でした。
その頃は、まだ戦後10年ちょっとしか経っておらず、日本人の大多数は質素な暮らしを余儀なくされていました。
ところが、Y先生は私が高学年に達した段階では、すでに自動車通勤、しかも、当時は「国産最高級自動車」と誰もが認めるクラウン通勤をされていました。なかなかエネルギッシュな女性だったんですね。
私の集落では、景気の良かったでんぷん工場にオート三輪が数台あるくらいで、大半の農家の「動力」は牛だった時代です。お家が裕福なお寺さんだったからかも、などと邪推してはいけませんね。
1年生の算数の授業で、引き算を初めて習う日のことでした。
今考えると、Y先生は教育熱心な方だったようです。
「どのようにしたら、子どもたちに『引き算』を、『差』をしっかりと理解してもらえるか。」
を、一生懸命に研究されたのでしょう。
「今日から引き算の勉強を始めましょうね。」
そのように授業を始められたY先生ですが、次の一言は予想を超えるものでした。
「このクラスで一番走り幅跳びを跳べる子は誰?」
算数の授業なのに、どうして体育の話なのでしょう。首をひねるこやんぴ。理屈っぽくて素直さが足りません。
他の子たちは電信柱のように真っ直ぐです。純朴です。何のためらいもなく、合唱でもするかのように声を揃えて、
「U君でえす。」
このU君、勉強もできるし、運動神経も抜群、その上「いい男」なのです。
まあ、順当なところでしょうね。「こやんぴ君でえす。」と言われなかったのは少々残念でしたけれど。
何故なら、私も走り幅跳びには、そこそこの自信があったものですから。
続いて、先生は、
「それじゃあ、このクラスで一番走り幅跳びを跳べない子は誰?」
と仰っしゃいました。
「あれあれ、誰だか知らないけれど、呼ばれた奴は気の毒だなあ。」
人の痛みを自分の痛みとして感じることのできる良い子ちゃん。こやんぴって、結構優しい子だったんですね。自分で自分を褒めたくなってきました。
いよっ、イイね、こやんぴ!
次に巻き起こった児童たちの大合唱は、
なんと、
なんと、
「こやんぴ君でえす。」
おいおい、なんでそうなるの?
こやんぴに対するクラス仲間の評価が、やっと分かった瞬間です。
「背は高いけれど、どこか鈍くさくて、その上泣き虫」
どうも、私を除くクラスの全員がそう思っていたようです。
心外な! プンプン。
とんでもない(そりゃあそうです。まだ跳んでいませんからね。)!
Y先生は、
「それでは運動場に出て、砂場に集合。U君とこやんぴ君に跳んでもらって、その差を測りましょう。」
今だったら、
「こやんぴ君の気持ちを考慮しない授業だ。けしからん!」
となるかもしれませんが、私自身がそれによって傷ついたということもなく、そうである以上、親に話すこともありませんでした。たとえ親が聞き知ったとしても、
「ワハハ」
で終わっていたことでしょう。
砂場に向かうこやんぴは、かなり古い例となりますが、マウンド上の星飛雄馬のごとく燃えておりました。メラメラメラメラ。
「U君より遠くに跳んでやる。見てろよぉ。」
てな具合です。
その日の私は凄かった。クラスの仲間のほとんどが、
「あれまあ、こやんぴ、やるなあ。」
と思うほど遠くに、遠くに跳びました。
それでも、U君の方がほんの数センチだけ遠くに跳んだので、先生の目論見は、辛うじて達することができました。
Y先生は、しきりに首をひねり、
「こんな筈では。」
といった表情をされていたのを今でもハッキリクッキリ覚えている・・・ということは、当時の私が、Y先生の目論見を、そして同級生たちの「へたれ疑惑」を、もう少しで打ち砕きそうになった高揚感と、完全逆転を達成できなかった悔しさの両方を感じていたからなのでしょう。
このような「事件」はあったものの、ちょっと怖くて、うんと優しいY先生のことは、今でも大好きです。