長旅犬マリー物語
私の生まれ育ち今でも住んでいるこの地は、高度経済成長が始まるまでは、田んぼがどどど~んと幅をきかせ、藁葺き屋根の家々がその隅っこに申し訳ないように肩をすぼめて佇む正真正銘の田舎でした。金に例えれば、混じりけなしの24金です。
家と家の間に塀などないのが当たり前。留守にする際にかけるのは鍵ではなく、隣の家への声かけのみ、といった実にの~んびりとしたところでした。みんなが顔見知りなので、よそから怪しげな人物が入ってこようものなら、あっちでじろじろ、こっちでまじまじと眺められてしまいます。したがって、泥棒稼業の採算性はゼロに近かったのです。
当然、ワンコたちものほほんとしております。犬の最大の使命である家の番をしなくてよい上に、ほとんど放し飼い。食事が粗末だったことは割り引きの対象かもしれませんが、ほぼストレスフリーなので、犬たちにとっては実に暮らしやすい時代でした。
私が口笛を吹こうものなら、あっちの角から二、三匹、こちらの藪から五、六匹とワンコが集まってくるのでした。
そんなワンちゃんたちの大半は雑種の田舎犬でしたが、我が家の隣で澱粉工場を営む家は、とても羽振りが良かったので、純粋の柴犬を飼っていました。マリーちゃんという名の若い雌犬で、可愛さはきわだっておりました。
このマリーちゃん、工場のおじさん、おばさん、お姉ちゃんたちよりも、どうした訳か私のことが大好き。私も彼女と遊ぶのが楽しくて仕方がありませんでした。
二人、正確には一人と一匹の夢のような時間は、ずっと、ずうっと続くかと思っていたのですが、ある日突然、マリーが姿を消してしまいました。
工場のお姉ちゃんに、
「マリーはどうしたの?」
と訪ねると、
「親戚の家にもらわれていったのよ。」
私は肩を落とし、とぼとぼと家に帰って、奥の部屋でわんわん泣いてしまいました。まるでロミオとジュリエットのようなお話しではありませんか。
ところが、奇跡が起こりました。十数キロ離れた「親戚の家」からマリーが帰ってきたのです。途中でいじめられたりしたかもしれませんし、道に迷ったりしたかも分かりません。それでもマリーは戻って来てくれたのです。
私が「マリー‼」と呼ぶと一直線に駆け寄ってきて激しく尾を振ります。映画なら、観客一同がハンカチでそっと涙を拭うシーンですね。
そんなマリーと私のことを暖かい目で見守ってほしいところですが、大人たちには大人たちの論理があります。数日後、マリーは工場の従業員の運転する三輪自動車に載せられて「親戚の家」へと強制送還されてしまうのでした。
私のブログとしては珍しく、ロミオとジュリエット以上の悲劇のまま話しはおしまい・・・
とはなりませんでした。しばらくすると、マリーはまたまた帰ってきたのです。何回も何回もこんなことの繰り返し。随分と長く続いたと記憶しています。
「ジョニーが来たなら伝えてよ」という歌詞が誕生する遥か昔、私は母や工場のお姉ちゃんたちに、
「マリーが来たなら教えてよ」
とお願いをしていたことを今でも覚えています。もしかして、私、作詞家になった方がよかったのでしょうか、という冗談はともかく、健気だったマリーとの思い出は忘れることができません。