通院生活 一昨年に大病を患って
今日は、2~3週間に一度の通院日。
一昨年の正月に体調をこわし、翌月に生まれて初めての入院、そして手術を経験しました。幸い手術は成功、いつもどおりの生活に戻っていたのですが、一年後に再発し、通院が欠かせない身となってしまいました。
治療に若干の副作用が伴うため、通院日から数日間はぐったりすることはありますが、普段の生活に大きな支障があるわけではありません。再発診断の頃より、かなり良くなってもいるようです。それもこれも、担当医の先生の的確なコントロールと、多忙な妻による生活面のサポート、特に私向けの食事づくりのおかげだと思っています。
妻の努力に報いるためにも、未完の仕事を前に進めるためにも、「必ず治すぞ」の気力を持ち続けて力強く生きていこうと考えています。
以下は、昨日と同様、句会報に掲載した一昨年の入院の際の手記です。
国保財政に今でも負担をかけ続けている私には言う資格がないのですが、自分のためにも、家族のためにも、そして社会のためにも健康第一、本当にそう思います。
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新年早々、健康だけが自慢の私を高熱が襲ってきました。恒例の親戚会にも、クラス会にも出席できず仕舞い。かかりつけの医院も年末年始のお休みのため、ただ寝ているだけの三が日でした。
4日には、平熱となったのですが、インフルエンザも疑われるほどの高熱を経験したこともあり、念のため、受診することにしました。
検査の結果、インフルエンザではありませんでした。喉も腫れていないことから、単なる風邪でもないようで、先生も、「なんの熱だったのだろうねえ。」と首をひねっていました。ただ、「ずいぶん、顔色が悪い」ということで、血液検査をすることに。
翌日、医院が休診日であるにもかかわらず、先生から電話がかかってきました。気になったので、検査結果が送られてくる前に、検査機関に問い合わせをしてくれたようなのです。その結果は、先生が驚くほど赤血球の数が少なかったとこのこと。
「そう言われてみれば」なのですが、昨夏以来、体は、「こやんぴ、医者に行った方がいいよ」との黄信号を発し続けていたようです。せっかくの黄信号を、「大丈夫、大丈夫」と無視し続ける私に業を煮やしたのか、体が究極の赤信号を発したのがお正月の高熱だったのかもしれません。
結局、2月4日に入院、絶食のまま、10日に手術を受けることとなりました。鎮痛剤が効いていたため、激痛ではありませんでしたが、それでも、かなり痛い目に遭いました。健康の過信はいけませんね。深く反省した次第です。
手術のあと2日ほどを除き、入院中は、時間がたっぷりとあります。この間、俳句の勉強でもすればよいものを、他の重い本を持ち込んだため、俳句の本は選から漏れてしまいました。句会破門ものの所業です。
とはいうものの、まったく俳句のことを忘れていたわけではなく、私にとっては「異常体験」であるこの入院を、どのように句で表現したらよいかを考えないではありませんでした。ちょっとだけですけれど(コレコレ!)。
「それでは、何句か発表してみなさい。」
いえ、それがその・・・
春浅し点滴のみで生きてをり
おづおづと傷に手を添ふ春の宵
ああ、やっぱり、俳句の本を持っていけばよかったなあ。