「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ

お散歩大好きの「こやんぴ」が、ふと出会った植物や動物たちについて思いつくままに記していきます。

冬は残照が・・・

 夕方、いつも自家栽培の有機新鮮野菜を届けてくれる友人のところまで、徒歩でお礼のお酒を届けに行きました。

 夕陽が奥多摩の山陰に沈んでしまった後でしたから、私の歩む田圃道は静寂の中。愛犬と散歩する人たち、ジョギングをする人たちのシルエットが遠くに見えるだけ。昨日までの寒気が緩んで、今日は過ごしやすい一日でした。北風も吹いていないので、陽が落ちても手袋が必要でないほど。

 

 ちょうど用事から帰ってきた友人にお酒を手渡すことができました。

 「早く一緒にお酒が飲めるようになるといいなぁ。」

 友人の温かい一言が私の心を温めてくれます。

 

 往路は田圃道だったので、復路は河川敷のサイクリングロードを選択しました。跨道橋を抜ける直前、土手の頭から富士山が顔を覗かせていることに初めて気がつきました。残照というスポットライトが当たっていなければ分からなかったかもしれません。これは写真に収めなければなりません。

 

 「あ、カメラを忘れてきた。」

 残念ですが仕方がありません。スマホのデジタルズームでは、ギザギザの情けない写真しか撮れないのであきらめました。

 

 土手の上にジョギングする二人の姿、思わずスマホでパシャリ。ぶれぶれですがご覧ください。やっぱりカメラを忘れてはいけませんね。

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 富士山もちょっとだけ頭を出しているのですが、分かりますでしょうか?

 

 土手の上に上がってみると、残照の中に小さな富士山がはっきりと見えるようになりました。

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 水面がまだ橙色を保っている中、列車があっという間に通り過ぎていきます。

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 土手から下のサイクリングロードに降りてみると、葉を落としたタチヤナギの木が水面に影を落としています。

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 オニグルミの冬のたたずまいも、どこか寂しそう。でも、春になったらぐんぐん伸びようと、厚いオーバーコートを着た芽たちが大挙待機中。

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 ニセアカシアの若木は、まだまだか細く頼りなげ。この木の根は地中深く張ることがないので、冷たく強烈な関東の空っ風に倒されまいと懸命に踏ん張っています。

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 清少納言は、「冬はつとめて(早朝)」と述べていますが、残照にも捨てがたい味があります。関東の冬は雲が少ないので、夕映えの美しさでは秋にかないません。大気中の塵も秋より少ないらしいので、それも影響しているかもしれません。

 でも、葉を落とした木々を透かして見る残照のオレンジ色や、その上空の遠慮がちな藍色のグラデーションには心動かされるものがあります。

国立まで出かけてきました。

 国立劇場ではなく、新国立競技場建設現場でもなくて、「くにたち」に出かけてきました。

 妻の弟夫婦宅への久しぶりの訪問でした。

 

 国立駅の特色ある三角屋根の旧駅舎は撤去され、現在は、きれいではあるものの、ごく普通の高架駅となっていました。でも、撤去された三角屋根は保存されているとのこと。再び駅前に戻ってくるその日が楽しみです。

 

 駅前の多摩信用金庫には、同金庫の関連団体である「たましん地域文化財団」歴史資料室があります。ここには、放送大学の卒業研究の際、川越鉄道(現在の西武新宿線の一部と国分寺線)の資料を確認するために来る予定でしたが果たせませんでした。主要なテーマが他の鉄道路線であり、締め切りに間に合わなかったからだったように記憶しています。

 今回は目的が違いますので寄ることはできませんでしたが、近いうちに来てみようと思いました。

 

 お昼は、駅近くの「更級甚吾郎」でお蕎麦をごちそうになりました。寒いこともあり全員が暖かい「谷保(やぼ)蕎麦」を注文、海老天が二つも入っていました。レトロな建物が数棟並んでいるうちの一軒で、なかなかいい雰囲気でした。

 
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 店は国立駅のすぐ近くなのに、南武線谷保駅には遠いのに、なぜ「谷保蕎麦」なのか?

 家に帰ってから調べてみました。

 へ~え、国立市は昔「谷保村」だったんですね。村の名前も、蕎麦と同様に「やぼ」と読むらしいです。でも、「谷保駅」は「やほえき」。

 「どうして? どうして?」と訪ねるのはやぼなんでしょうか。

 

 家に帰ってきたら、昨日に不合格を確認済みの試験について、結果を知らせる実にあっさりとした葉書が届いていました。来年の1月には、この葉書を受け取らないようにしなくては・・・。


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資格試験の合格発表日 ・・・ 結果は?

 今日、昨年11月に受験した資格試験の合格発表がありました。

 1点差で不合格でした。

 いつもながらの詰めの甘さがもろに出たようです。

 社労士試験の時も、1点差だったことが2回もあったのに、懲りない私です。

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 今回の試験を受けた理由は・・・

 特定社労士には、労働法に関する知識が不可欠です。そして、その基礎になるのが民法。ところが、社会保険労務士の資格試験には民法がありません。

 特定社労士となるための試験も、労働事件に係る判例解釈が中心。民法や労働法の基礎は「すでにある」という前提です。したがって、これらの法律の基礎固めをするためには、自ら学ぶことが必要です。

 

 こつこつじっくりタイプの人間であれば、継続的、計画的に学ぶことができると思いますが、私は真逆の性格で、興味があっちにふらふら、こっちにぶらぶらとぶれまくり(鳥、昆虫、植物、天文気象とか・・・)なかなか集中できません。

 短いスパンの目標、一里塚のようなものがないと、

「勉強をしないとね。」

「そうだねぇ、そのうちにね。」

「やっぱり何もしなかったねぇ。」

ということになってしまいます。

 

 そこで、民法が試験科目に含まれる資格試験を受けることにして、一昨年から三つの試験にチャレンジ。結果は、二勝一敗。

 チャレンジして発見したことがあります。それは、単に民法の勉強になった(「不合格なんでしょ? それで勉強になったの?」とのご指摘であれば、まさにその通りなのですが・・・)というばかりではなく、ほんの一部かもしれませんが、自分があまり知らなかった業種について、その一端を垣間見ることができたこと。

 

 3月には、仕事仲間と共に、一般の方々向けの相談会を開くことになっています。その勉強もしっかりしなければなりません。今回の失敗を肝に銘じ、きっちりと準備をしていきたいと考えています。

 

 こやんぴ、不合格の影響か、本日は、かなり神妙であります。

 今回落ちた試験には、今年再チャレンジする予定です。今度こそ、詰めを謝らないようにして。

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春を待たずにハルマチソウ 【訂正】ハルマチソウではないようです。

 家の中に置いてある鉢の中に、ハルマチソウ(スミレ科)芽を出し元気に育ち始めたのは去年の秋ごろ。庭のハルマチソウ群落のすぐ脇でヤコウモクの植え替えをした時に種子が入り込んだものと思われます。

 

 その後に調べたところ、ハルマチソウはサントリーの作出した新品種で不稔性とのこと。「稔らない」、つまり、種子ができないわけで、次世代の子苗が生じるわけはありません。

 どうやら、外来の園芸品種で繁殖力の旺盛な「ビオラ・ソロリア(パピリオナケア)」のようです。

 したがって、本稿の「ハルマチソウ」という文字は、すべて「ビオラ・ソロリア(パピリオナケア)」に変換する必要があるのですが、「こやんぴのおちょこちょいぶり」の証しとして残し、この赤字により訂正とさせていただきます。

 正直に申し上げますと、「春を待たずにハルマチソウ」という題が、「春を待たずにビオラ・ソロリア(パピリオナケア)」に替えると何の意味もなくなってしまう、という理由もあったりします。

 

 庭のハルマチソウ達は、秋口に、ツマグロヒョウモンという蝶の幼虫軍団に食害され、哀れ茎だけの姿になってしまいましたが、室内のハルマチさんは難を逃れ無事でした。その点では運の良い個体です。

 

 私は、植物も大好きですが、昆虫も大好きなので、ツマグロヒョウモンの幼虫を退治することはしませんでした。みんな、タテハチョウ科特有の二本の角を持ったスマートな蛹となり、冬前には成蝶となって飛び立っていきました。外のハルマチさんたちには、ちょっと気の毒なことをしたとは思うのですが、食害もなんのその、毎年、春になると懲りずに元気に芽を出し育ってくれています。

 

 外のハルマチさんたちは、今では地下茎だけの姿(見えませんけれど)になって、その名のとおりじいっと春を待っています。ところが鉢の中のハルマチソウは、昨年の葉が年末ぎりぎりまで青々としたままで枯れることなく頑張っていました。おそらく、冷たい外気に触れることなく、ガラス戸越しの日光を思いっきり浴びることができたからなのでしょう。

 

 さすがに今年になってからは、日ごとに色を失い、今や淡い黄緑色になってしまいました。もうすぐ葉を落とすのでしょう。

 

「ハルマチソウさん、春になるまでおやすみなさい。」

 そう思っていたところ、新年になってから、たった一つだけではありますが花芽をぐんぐんと膨らませ、昨日、ついに開花しました。

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 春になって、ハルマチソウが群れて開花する様は、それはそれは見事ですが、わずかに一輪だけ、しかも、鉢の主であるヤコウモクの店子状態でひっそりと咲いている姿は健気そのもの。写真に撮り記録にとどめておくことといたしました。

 

 カメラを近づけてみると・・・あれまあ、よりによって咲かせた花の正面にヤコウモクの支柱がでんと聳えています。

 したがって、真正面から写すことができませんでした。

 

 それでも、スミレ科らしい複雑な形をした花(大工さんの使う墨壺に似ているので「すみいれ」→「スミレ」となったようです。)を写すことはできました。とても愛らしい姿です。

 

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2018年最初の通院日

 今日は、2~3週間に1回の通院日です。

 通院であって、痛飲ではありません。勤めていた頃は、痛飲日が目白押し。笑える失敗、笑うどころではない失敗が数々ありました。恥ずかしくてとても書けません。

 それにも懲りず、1年近く前までは、痛飲はしないまでも、日本酒やビール、ワインなどをよく呑んでいました。

 

 ドクターには、「お酒は飲んでも構いませんよ。」と言われているのですが、昨年の春以来一滴も呑んでいません。

 昔の私を知っている人からは「つらいでしょうね?」と訊ねられることがあります。でも、獺祭をなみなみと注いだグラスを目の前に持ってこられようとも、ベルギービール琥珀色がどんなにモーションをかけてこようとも、「ついふらり」となることはありません(本当です)。

 

 最近、宮澤賢治研究の大御所である大先生から、

「こやんぴ、あなた、お酒はいい加減にしなさい。」

と電話でお小言をいただいてしまいました。

 私が相変わらずお酒と仲良しなのではないか、身体に悪いのではないかと心配していただいているのです。もったいない限りです。

 

 その際、私の口をついてとっさに飛び出してきた言葉が、

「先生、私はもう1年近くお酒をやめているんですよ。今考えると、それまでは、目の前にあるお酒やビールが目障りなので、仕方なく、やむを得ず、背に腹は代えられずに、いやいや飲んでいたんですよ。私、元々お酒が嫌いだったんですね。最近気が付きました。だから大丈夫です。それより、先生の方こそ大丈夫ですか。」

 

 このように書きますと、その遠慮のなさから、私も大先生同様、国文学に少しは関わっているような気がしませんか?

「こやんぴって、もしかして、大学か高校の先生?」

「すご~い!」

「きゃ~っ!」

 

 違います。

 

 先生は、お忙しい中、妻の所属している国語教育の勉強会に講師としてお出でになり、妻たち小学校の教師たちに賢治や古典文学に関わる深いお話をしてくださっているのです。彼ら、彼女らが大変お世話になっている方なのです。

 

 先生、研究も大好きですが、会の後の宴席も大好きなのです。あまりお酒は得意ではない妻から、「あなた、先生のお相手をして!」との依頼を受け、門外漢なのに学校の先生たちの末席に連なり、あろうことか、大先生と、知っていること5%、曖昧な知識8%、後の残りは冗談と張ったりでペラペラと・・・そんなご縁で親しくなったというのが真相。

 

 先生、何を勘違いされたのか、1999年にサハリンへ賢治の足跡を辿る研究旅行をされた際、岩手在住の偉大な写真家、優秀極まりない編集者、次々と鳥をテーマとする本を書き上げている作家の先生という超豪華なメンバーの中に、なぜか、何のとりえもない私を組み入れようとされたのには驚きました。

 

 このサハリン旅行で、私が酒飲みであることが、メンバー全員の、当然大先生の知るところとなるのですが、そのあたりの顛末は、またの機会にお話しすることにいたします。

 

 かなり横道に入り込んでしまいました。もう時間がないので、本題の方が短くなってしまったではありませんか。まあ、毎度のことですが。

 

 今日は通院日です。

 

 起床は午前5時少し前。まだ真っ暗です。

 階下に降りて、身支度を整え、忘れ物がないかをチェックした上で家を出たのが午前6時5分。

 6時11分初の電車に乗り込み、途中は省略して、お茶の水についたのが7時半ころ。予約番号をゲットし、8時の受け付け開始を待ちます。自動受付機の処理を済ませたら、3階の採血室へ。

 

 採血の終了後に、コンビニ弁当で朝食。そして、2階の診察室へ。ここからが長く、診療行為がすべて終わったのは午後2時半近く。

 会計も混んでいて、病院を出たのは午後4時近く。疲れたぁ。

 

 帰宅途中、ついふらふらと、購入するかどうかを検討するためだけに立ち寄りました、ビックカメラに。

 

 同店を出る私の手の中には、新しいコンデジを入れた紙袋が大事そうに抱えられていました。

 
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白鷺という名のサギは、生物の種としては存在しない!?

 数日前、カワウとダイサギのバトルをご紹介しましたが、羽を優雅に広げるダイサギをご覧になって、

「あれっ、白鷺でしょ? えっ、白鷺じゃあない? ダイサギ~、何それ?」

とお思いになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 それはそうですよね。姫路城は雪より白いその気高さから「白鷺城」とも呼ばれていますし、俳句の季語にも「白鷺」とあります。今は甘いものを控えているので食べられませんが、浦和の甘い和菓子も「白鷺宝」。おいしかったなぁ。また食べたいなぁ。

 そうそう、名古屋・金沢間の特急も「しらさぎ」です。昔の車両のヘッドマークには悠然と飛翔する白鷺が描かれていて、名古屋から北陸路へと私たちを颯爽と案内してくれる、そんなイメージでした。

 

 ところが、生物の「種」の名前には「シラサギ」がありません。もっとも、コサギは「シラサギ属」なので、コサギを「あっ、白鷺だ!」と言っても実は正解なのです。

 

 「すると、チュウサギも、ダイサギも、シラサギ属なんじゃないの? 大、中、小をまとめて白鷺でいいじゃないの!」

 ごもっともと申し上げたいところなのですが、チュウサギダイサギは白いのになんと「アオザギ属」、おどろいて蒼くならないでくださいね。

 

 明らかにコサギしかいない状況下では、皆さんが

「あっ、白鷺だ。綺麗だなぁ。」

と感動しているときに、こやんぴのような知ったかぶりをする輩が、せせら笑いつつ近づいてきて、

「いえいえ、あれはコサギと言うんですよ。」

などと話しかけてきたら、

「無礼者! 余は、属名で話しておるのじゃ。下がりおろう。」

と撃退してもまったく問題ございません。

 

 でも、チュウサギダイサギの方は厄介です。そう簡単には、「あっ、チュウサギだ。」「おや、ダイサギだ。」と区別ができないのです。同じ「アオサギ属」なだけに、大きいけれどちょっと小さいチュウサギと、もうちょっと大きいダイサギは、実によく似ています。

 さらに、ダイサギには亜種まであって、オオダイサギとチュウダイサギがいるときては、もう頭が痛くなってしまいます。

 

 まあ、アオザギ属とはいうものの、チュウさんもダイさんも白い鷺なんですから、この際、「アマサギ属」のアマサギもひっくるめて「みんな白鷺」でいいんでしょうね。こやんぴのような「知ったか」さんが何と言おうとも。その方がややこしくありません。

 

  チュウさんとダイさんの区別の仕方は、インターネット上にたくさん紹介されていますが、「明快」、「一刀両断」というわけにはまいりません。微妙。

 

 下の写真をご覧ください。白い鳥がいっぱいいますね。さて、これは、何サギでしょうか? ちなみに、稲の生育状況からお分かりのとおり、8月末の光景です。したがって、冬鳥のオオダイサギはおりません。

 えっ、みんな白鷺? まあ、そうなんですけどね。

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 「今までの話しで、答えはすぐに出せるよ。小さいのがコサギ、大きいのがチュウサギかチュウダイサギなんでしょ?」

 

 う~ん、残念! 正解は、小さいのも大きいのも、すべてチュウサギ

 小さいのは2017年生まれの幼羽、要するに、まだ子どもだから小さいだけなのです。コサギは脚指が黄色いので容易に区別することができますが、この写真の中には黄色い脚指の個体、つまりコサギは写っておりません。

 

 このチュウサギさんたちは夏鳥で、冬はフィリピンの別荘で避寒としゃれ込みます。その年に生まれた子供たちは、長く過酷な旅に耐えるためにも、アメリカザリガニなどをしっかりと食べて栄養をつけ、早く大きくならなければなりません。

 親鳥が、幼羽に餌をとる訓練をさせるために、アメリカザリガニなどの餌が豊富なこの休耕田に連れてきたのだと思います。

 

 アオサギもやってきました。ダイサギほどの大きさですが、「青」くはないですよね。青系の伝統色をチェックしてみましたが、瓶覗色(かめのぞき)よりも渋いような気がします。

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長旅犬マリー物語

 私の生まれ育ち今でも住んでいるこの地は、高度経済成長が始まるまでは、田んぼがどどど~んと幅をきかせ、藁葺き屋根の家々がその隅っこに申し訳ないように肩をすぼめて佇む正真正銘の田舎でした。金に例えれば、混じりけなしの24金です。

 

 家と家の間に塀などないのが当たり前。留守にする際にかけるのは鍵ではなく、隣の家への声かけのみ、といった実にの~んびりとしたところでした。みんなが顔見知りなので、よそから怪しげな人物が入ってこようものなら、あっちでじろじろ、こっちでまじまじと眺められてしまいます。したがって、泥棒稼業の採算性はゼロに近かったのです。

 

 当然、ワンコたちものほほんとしております。犬の最大の使命である家の番をしなくてよい上に、ほとんど放し飼い。食事が粗末だったことは割り引きの対象かもしれませんが、ほぼストレスフリーなので、犬たちにとっては実に暮らしやすい時代でした。

 

 私が口笛を吹こうものなら、あっちの角から二、三匹、こちらの藪から五、六匹とワンコが集まってくるのでした。

 そんなワンちゃんたちの大半は雑種の田舎犬でしたが、我が家の隣で澱粉工場を営む家は、とても羽振りが良かったので、純粋の柴犬を飼っていました。マリーちゃんという名の若い雌犬で、可愛さはきわだっておりました。

 
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 このマリーちゃん、工場のおじさん、おばさん、お姉ちゃんたちよりも、どうした訳か私のことが大好き。私も彼女と遊ぶのが楽しくて仕方がありませんでした。

 

 二人、正確には一人と一匹の夢のような時間は、ずっと、ずうっと続くかと思っていたのですが、ある日突然、マリーが姿を消してしまいました。

 工場のお姉ちゃんに、

「マリーはどうしたの?」

と訪ねると、

「親戚の家にもらわれていったのよ。」

 

 私は肩を落とし、とぼとぼと家に帰って、奥の部屋でわんわん泣いてしまいました。まるでロミオとジュリエットのようなお話しではありませんか。

 

 ところが、奇跡が起こりました。十数キロ離れた「親戚の家」からマリーが帰ってきたのです。途中でいじめられたりしたかもしれませんし、道に迷ったりしたかも分かりません。それでもマリーは戻って来てくれたのです。

 

 私が「マリー‼」と呼ぶと一直線に駆け寄ってきて激しく尾を振ります。映画なら、観客一同がハンカチでそっと涙を拭うシーンですね。

 

 そんなマリーと私のことを暖かい目で見守ってほしいところですが、大人たちには大人たちの論理があります。数日後、マリーは工場の従業員の運転する三輪自動車に載せられて「親戚の家」へと強制送還されてしまうのでした。

 

 私のブログとしては珍しく、ロミオとジュリエット以上の悲劇のまま話しはおしまい・・・

 

とはなりませんでした。しばらくすると、マリーはまたまた帰ってきたのです。何回も何回もこんなことの繰り返し。随分と長く続いたと記憶しています。

 

 「ジョニーが来たなら伝えてよ」という歌詞が誕生する遥か昔、私は母や工場のお姉ちゃんたちに、

「マリーが来たなら教えてよ」

とお願いをしていたことを今でも覚えています。もしかして、私、作詞家になった方がよかったのでしょうか、という冗談はともかく、健気だったマリーとの思い出は忘れることができません。